@SchizghoeBillyをフォロー ツイート ブログ 失業とiPhoneと悔恨の日々: 11月 2011

2011年11月28日月曜日

心療内科通院第35回目

今日は道が空いていて、着くのが早かった。そのお陰か、診察も早かった。内科受付けを終えると800番台の患者が診察室に入っており、椅子に座って待っていたら次に呼ばれてしまった。
薬を減らしてから苛々するのが我慢出来なくなったので、薬を戻してくれと言ったのだが、やはり痙攣・意識消失の大発作を2回も起こしたとあって、薬は増やさず様子を見たいとの事だった。
ツイッターで、デパスを処方されている人の話をしたら、じゃあデパスを出しましょうという事になってしまったよ。
別に薬の素人じゃないんだし、ツイッターでそんな話題があったってだけだったんだけど、偶然デパスには筋肉を柔らかくする作用があるとの事で、頸椎症で右半身が痛む私には非常に合っていたのであった。
しかし処方箋には頓服10回分しか書いておらず、3週間分の薬なのでまた薬局から病院の先生へと問い合わせをする事にしてもらい、また待ち時間を食らった。ついでなので、医者に聞き忘れた、車を運転していいかも聞いてもらう事にした。
で、結局デパスは初めて処方するので10回分にしとけ、自動車の運転は副作用に気を付けて止むに止まれない事情がなければ避けた方がいいが、法的に問われるものではないとのこと。
今回の診察は、認知行動療法の方で言おうと思っていた、子供の頃の、周りの人間が自分を殺そうと企んでいるという妄想も電子カルテに打ち込んでもらった。
前回話が出た、統合失調症の薬は、今回デパスを初めて処方するので、見送りとなった。

処方箋には画像の通り。今日はカメラが立ち上がらず焦ったが、一旦メールを立ち上げてから写真添付を選択したら何とかカメラ機能が生き返った。
縦画像なので、あとでカメラロールで修正できると思い、メールは送らず。
思った通りカメラロールに入っていたので、横向きに修正して保存しておいた。
iPhone3GsにiOS5がインストールされているので、色々無理があるのだろう。ツイッターアプリもよく堕ちるし。
12月13日にiPhone4Sに機種替え予定だが、それで全て完璧に行くとは思えんがな〜

2011年11月26日土曜日

これもリスカ?Youtubeで削除された自血染め〜きっと鬱病のせいだよ〜

私は常々、リスカは本当に死ぬべきだと思っている。
正しく手首を切る方法も提案して来た。
何故ならリスカという行為は常に他者を観客としている。リストカットをする者たちは手首を切る際、人前で見せつける・人目に触れずに行うに拘らず、自分の様々な心情の内部を他者に見せつけたいという欲求に駆られて行うからである。

皮膚を切り開く行為とは自分の内部を曝すのと同義である。
流血とは生命に拘る液体を失い死に至り得る行為である。

故にリスカとは、流れ出る血液をもってして己の生命の危機の訴えを託し、強く他者の関心を買おうとする行為であると言えるのである。

だが、翻って考えてみれば、他人が彼らの手首を切ってその流血を見てくれと言って来たとして、あなたは彼らに関心を持つだろうか。せいぜいその内ある確率で死ぬかも知れない人物であるだろうと看做すだけではないだろうか。或いはあなたが目の前で人が死ぬのを見て見たいという価値観の持ち主なら人間関係を積極的に持とうと考えるかも知れないが。
現に私は犬の病気平癒を願い手の甲に切り付けた傷を自慢げに友達に見せようとしたが、冷笑されただけであった。

もう当人も分かっている通り、リスカは自己満足である。
しかしその満足は欺瞞である。
リスカを自慰行為のように続けている限り、真の欲求である他者からの関心は得られない。
リスカ以外の努力をするのが嫌な人は、死んでこの世からいなくなり、あるかも知れない別の世界やあの世に行くしかない。

もし今生きているこの世界が気に入っているか、未練があるならば、リスカという迷惑な自己開示をする前に

その皮膚の下の、血液が流れている身体を持った、自分自身の中身を充実させるべきである。



以下の画像はYoutubeにうpしたが規制に引っかかって削除され、アカウント削除の危機のにあった所を、すいませんの文を英語で送ったら何とかアカ削除だけは免れたという思い出のある動画の一部の画像である。
内容は自分の両手手首の内側に浮いている静脈から注射器で血液を吸い上げて、新しく買ったスケシューの真っ白い紐を染めようとするという動画で、ひょっとしたらここBloggerでも削除されてしまう可能性もあるかも…

でもこれもクビになる前、かなり精神的に異常をきたしていた時の行動なので、鬱病がなせる業ではないかと思うのです。









注射器で手首の静脈から血を吸い上げているところ


血を抜いたばかりの静脈の上の皮膚。まださほど目立たない


血を抜いてから数日後。段々内出血が広がって来たwww

2011年11月18日金曜日

原田メンタルクリニック通院第10回目

原田メンタルクリニック。エレベーターの前に下駄箱があって靴を脱がなければならないが、スリッパがバラバラ。
受け付け、キビキビしろ。
あ〜あ〜患者皆んな普通そうな人ばっか。君たちホントに病気なの?

カウンセリング。
思考を言語によって客観的に概観し、言語によって敷衍された行動原理を描き出し、描き出した行動原理をピクセルを埋めるように部分から実行していく、それが認知行動療法だと解釈している、と伝えてみる。
言葉の速さでしか考えられないから自分は並以下なんだ、と臨床心理士の方に相談した。
このクリニックに来てから、カウンセリングも診察も、認知行動療法とは何かの定義に終始している気がする。

先生の診察では、母親が勧める漢方薬を処方してもらえないかと相談する。帝京の先生に断られたヤツだ。
先生の意見では、痙攣発作は大発作で、それを2回も起こしているんだからこれ以上薬は、漢方薬でも止めた方がいいとのことだった。理由として、何故かカリウムが含まれているからを挙げていたが、私だって漢方は元来毒である事など知っている。
数学の勉強先が茫洋過ぎて探せないと言ったら、大学受験、数学、基礎から、という検索ワードを提示してくれた。今日の収穫であろう。
親子三代独り言体質も伝えた。
自分は鬱病なのか?との疑問も呈してみたが、はい時間切れ。それま〜でェよ〜


今日のBGMはシューベルト。ウィーン弦楽カルテットって、この訳合ってる?

2011年11月16日水曜日

明治の士族の人々の置かれた立場について

以前のブログ「#鬱 ぶやき 親子三代の社会適合性欠如の背景分析と考察・展望台デッキ」
http://www.blogger.com/post-edit.g?blogID=5785508597058455522&postID=2523254020622971984
で、士族の子供が役者の弟子になったのは、当時は今より自由だったのではないのかと想像する以外に無い、と書いたのだが、やっぱり大変だったらしい。こと結婚に関しては。
そうはいいながら、昔、茨城県のある職業の女性が士族の男性との大恋愛の果てに、赤ちゃんも出来ちゃったって事もあって、何とかまとまった事があったそうだ。

結局、必ず最後に愛は勝つ!ってことでしょう。

iPhoneとガラケーで撮ったクリスマス画像

ツリーとかイルミネーションとかだねえ。PCに入ってる、ガラケー時代の画像も後で足してみよう。

先ずはiPhoneで撮った2009年以降のクリスマス画像。

以上iPhone画像。


ここから2008年までのクリスマス画像。
画素800くらいのガラケーで撮ったんだけど、何だかiPhoneのより小さいな…?




大体水道橋〜神保町近辺の画像です。
クビにされた会社がそこら辺にあるから〜

DEATH ON METAL: BARRIER KULT Fall / Winter 2011/2012

DEATH ON METAL: BARRIER KULT Fall / Winter 2011/2012: Now on Stock

2011年11月15日火曜日

昔のブログを読んでみた。

それは、昔自分が書いた日記を読むようなコッパズカシさが…
まあ、中二病ほどではないが、鬱病とはいへ、本質的に人間は変わらないのかと学んだな。
中二病は、人間の宿業の様なものだと気が付いた。
それはつい一つ前の投稿でも変わらない。


それはそうと、ケータイSMMから投稿した場、フォントもいじれないしリンクも貼りようが無いという事に気が付いた。iPhoneのアプリにBloggerがあったので、ダウンロードして(無料だ!当然)使ってみた。
投稿する時にわざわざSafariを開くだの、書きかけの投稿が動かないだのイライラさせられるが、投稿は出来る。
しかし画像を付けるのはケータイからの投稿でも出来るし、そもそもBlogger自体が単純で(その割に使いづらいが)、もっと色々やりたいとか出来るとかいう人は、選ばないサービスなのだろう。

反論があるなら受けて立つ。

今FACEBOOKにリンクを貼ってみた

普通に飛べる。GoogleのBloggerって、ヘルプとかも以前よりは改善したけどいきなり英語だけになったり、もう少しなんとかならんのか。成り行きでブログ開設しただけで、友達とかアメブロだし、
はぁ〜〜〜〜〜〜〜後ろ向きに拍車がかかるぜ。
とはいへ、ここで投げ出しても他にする事無いし。
Googleのあほー
日本事業なめ過ぎだー
どんだけ賢い連中が運営してるっちゅうねん。
給料だけバブルだぞー
もっと働けー自分に鞭打てー!!!

リンク無効?

GoogleのBloggerって、貼ったリンクに飛べないの?ブログってそういうもん?それともこいつが悪いの?!

2011年11月14日月曜日

馬尾神経脂肪腫に関して見つけたリンク

脊髄腫瘍(脊髄髄内腫瘍、脊髄髄外腫瘍、馬尾腫瘍)

馬尾腫瘍(Tumor of Cauda Equina)

病態と診断
http://www.geocities.jp/sekizuishuyou/babishuyou.html

2011年11月13日日曜日

#鬱 ぶやき 親子三代の社会適合性欠如の背景分析と考察・展望台デッキ

私は思った事を言葉に表現しないではいられない。多少遠慮はするが、それらを喋ることに意義があると信じている節がある。
実は父親も全く同じで、朝起きて来ると、1人で喋り始める。相槌があろうがなかろうがお構いなしである。
話題は政治や犯罪など新聞程度の同じ話題を繰り返したり思い付いた別の話題に次々飛ぶ事もある。
しかし、譫妄ではなさそうなので、一度父親に尋ねてみた。「何を何故今喋る必要があるのか?」と。
答えは、大した意味は無い、目に付いた新聞の話題を論じているだけだと。別段会話するつもりも無いと。
祖母もそうだった。記憶にある祖母はいつも何か1人で喋っていて、話し掛ければ会話にはなるのだか、何時の間にかまた独り言に戻ってしまう。
明らかな病気ではないようだか、問題は、この独り言癖が親子三代この私にまで受け継がれ、私の代になってとうとうクビを切られるという実害が出てしまった事だ。
そこで私は、持てる情報を元に三代前からの困った性癖を客観視して見る事にした。
祖母は会津藩士の孫で、会津戦争で曽祖母は自害、曽祖父は片目を鉄砲で失ったそうだ。明治になってから、松平容保公の東京行に同行し親子で東京にやって来た。父一人と子供達で麻布の長屋に住む事になった。長女の渡辺キノさんが、後の私の祖母の母親、春日キノさんとなる。同じ長屋には旧薩摩藩士が住んでいたが、図らずも賊軍と呼ばれる身となった者同士だからなのか、お互い目を合わせるだけで何かを語ることはなかったそうだ。
ところで渡辺家は渡辺綱を先祖としており、綱に関して様々な言い伝えがあったそうだ。その中でも特に厳格に守られていたのが、正月に松の木を飾ってはならない事であった。
あくまでこの家に伝わる伝承だが、渡辺綱は一条戻橋で茨木童子の腕を斬り落とし持ち帰るが、伯母の姿に化けた鬼に腕を持ち去られてしまう。
この時鬼は松の木を伝って飛んで逃げた、との伝承が渡辺家では伝えられているので、正月飾りに限らず、松を忌む様になった。
以来渡辺家並びに親戚は、正月に松を飾る事を固く謹んでいたのである。
それは明治・大正・昭和に時代は移っても守られて来たのであった。

しかし戦後、根岸の家を戦後のバラックに奪われ、知り合いを頼って葛飾区の青砥に新たに居を構えた時、祖父はどうせならと立派な門松をたててしまった。
祖父は、茨城県潮来に和田館という屋号が残っているが、この和田氏の子孫で、やはり士族である。
太田道灌の江戸入りに伴い駆逐された関東武士団の一派であった。
その際氏名を変えているので、現在の苗字は和田ではないが、和田館・和田荘にその名を留めている。

話は戻るが、戦後財産や家系図なと古文書を失ったとは言え、葛飾区青砥に再び家を再興出来たのを言祝ぎ、彼は正月に門松を立ててしまった。
そして我が祖父はその年に脳出血で倒れ、帰らぬ人となった。享年53歳である。

以来渡辺の血統の人間及びその家族はは松飾りをしない。正月マニアである私には痛恨の極みである。

春日氏は長野の高遠藩士の子孫だそうである。
春日キノさんの主人は早くに亡くなっており、結局実家の麻布の長屋に帰って来た。キノさんの子供達3人は旧会津藩士の祖父と暮らす事になった。
あの時代、生活に余裕は無かったが、周りの人は皆んな人情があったと祖母は繰り返し話していた。

この繰り返し、場合によっては相手がいなくても喋り続ける、という性格傾向は、その子供達、そのまた子供達にも脈々と伝えられて行った。
社会生活を送るに当たっては、諸刃の剣とも言える性質であった。
遠縁に芸者をやっている女性がいた。柳橋で売れていたお政姐さんで、この人には本当に世話になったらしい。
キノさんの子供達の、姉達を見習いとして自分の座敷に住まわせ身の回りの世話をさせる代わりに必要な分の給金をくれた。
と言っても売れっ子芸者にはいくらでも付き人がおり、実質預かって育ててくれていたのであり、学校にも行かせてくれていた。
弟は、お政姐さんの旦那が市川家の歌舞伎役者だったこともあるが、とにかく男前だった(当時の人の証言)ということで、役者の弟子にしてもらったのだった。戸籍に士族と書いてある家の子供がなぜ役者に?と思うのだが、当時は多分今より自由な気風が溢れていたのではなかろうか、と想像する以外ない。
それに、姉は男前の弟が自慢で仕方が無かったらしく、ある日池の端を二人で歩いていたら、弟の女中さんに間違えられたそうであるが、却ってそれをいつまでも自慢にしていたくらいだった。
お政姐さんの援助もあって学校を卒業した祖母は、結婚する前に色々な仕事をしていたそうだ。
帝国ホテルの中で働いていたこともあったらしい。
そしてある研究所で働いていた時に(ラボラトリンと呼ばれていたそうだ)、その研究所の研究員と結婚したのである。
結婚してから祖母は4人の子供を産んだのだが、お産の度に産後の肥立ちが悪かったのか、谷中の方にあった、患者1人に看護婦が1人付くといういくらかかるのか分からない産婦人科病院にしょっ中入院していた。
しかも入院すると幻聴が聞こえるとか騒いだり、一晩中ブツブツ喋っていたり、奇行が多かった。終いにはその時小学生だった自分の娘に病院に付いていてくれるよう言い出し、いくら周りが宥めてもいう事をきかなかった。結局娘は学校が終わると病院に帰宅し、予習や宿題をやって、夜になると祖母のベッドの横にベットを置いて寝る。翌日になると病院から登校する、という事をさせていた。
こんな状態なので当然子育ては難しいく、親戚や親しい知り合いに頼むことになる。祖母と子供達4人の微妙な関係性はこれに端を発している。
世話を任される方の大人も、自分の子供じゃないから少しは遠慮があるので甘やかす。畢竟子供達は、それぞれ世話になった親戚や知人に懐くようになる。
詳しい経緯は分からないのだか、祖母は複数の宗教団体に入信し、相当カネを使ったらしい。
祖父は自営業を経営してしたが、53歳で脳卒中で亡くなった。
幸い後継がいたので、祖母は益々宗教にのめり込む。向こうではカネを落としてくれる上客なので、祖母が喋りまくることに何でも頷いてくれる。
恐らくこうやって思った事を全て言葉にするという精神構造に拍車が掛かっていったのではないだろうか。
そして、父親もまた先祖から受け継いだ性質の上に、こうした成長の環境が加わって、あの人格と性癖が形成されたのであろう。
こういった背景がこの私を作り上げていた。
しかし背景はあくまで背景である。私の人生は私しか歩めないのだ。

と、人生の展望デッキにたち(スカイツリー当たりでひとつ)、展望するのであった。

2011年11月11日金曜日

馬尾神経脂肪腫とペインクリニックへの旅路

私の父親は、背中の痛みに悩まされている。最初近所の病院で脊柱管狭窄症と診断された。手術後も痛みが取れる確証は無いが、と手術に踏み切った。しかし手術当日、医師が突然中止を伝えて来た。どうやら診断に自信が無かったらしい。
途方に暮れたがしかし、そうもしていられないので、他の病院を探し、人伝に聞いた東京医科歯科大学附属病院を頼って診察してもらうことにした。ここでの診断は、馬尾神経脂肪腫。腰椎では脊髄が枝分かれして馬尾神経という多数の神経となる。腰椎の脊柱管内に発生する腫瘍は、馬尾神経腫瘍と呼ばれる。この腫瘍が脂肪であるものが馬尾神経脂肪腫である。
幸い悪性ではなかったが、髄膜の中の枝分かれした神経に脂肪がついているので、手術で除去するのは不可能だと宣告された。
ここから、ペインクリニックへと関心が移っていくのだが、東京医科歯科大学附属病院でも課は設けているが、例の無い症例だと医師が及び腰になり、断られてしまったのである。
病院からは痛み止めの飲み薬セレコックスを処方されただけだった。
次に隣にある順天堂大学附属病院に行き、2011年11月2日に初診を受けレントゲンを撮った 今ここ。次回の診察は一番早くて11月30日。MRIの結果を診断する筈なのだが、院内では予約がいっぱいで撮影が間に合わない。
そこで順天堂大学付属病院では検査を外注していて、父親も順天堂に程近いMRI撮影専門の施設に出掛けて行った。
病院からは検査機関の連絡先だけを渡され、予約の電話も患者自身が行ない、会計もそこの施設で済ます。患者は撮影したフィルムを受け取り自宅で保管して、順天堂病院へ診察に行く際に持って行って医師の診断を受けるのである。
父親がこの病院でペインクリニックを受けられるかどうか、分からない。もし駄目ならまた別の病院に、ドクターズショッピングへと出掛けなければならないのだ。
----
画像は、検査施設の入っている新御茶ノ水駅ビルから見えるニコライ堂。
撮影したのは数年前かなあ。

追伸:馬尾神経腫瘍を手術なさった方の術・術後のブログをまとめられたページを見つけました。
このページにリンクを張る許可を求めたメールを差し上げたのですがお返事が無く、
日付が2005年とあるので、もう放置されたアカウントなのかと勝手に想像し、勝手にリンクを張らせていただきました。もしご当人様が気が付かれましたらば、是非ご連絡下さいますよう。草々
馬尾神経腫瘍 病気日記

新御茶ノ水の駅ビルから見えるニコライ堂

順天堂大学附属病院から外注を受けている検査施設から見えるニコライ堂。撮影したのは数年前。

うん、

自分ブログに向いてない。ところで、このブロガー、未だに動画はUP出来ないの?

2011年11月7日月曜日

心療内科通院第34回目

処方箋は前回と同じ。
統合失調症の薬は、今回は出されなかった。
もう、こうなったら診察室で粘るしかないね!医者を追い詰めて、病欠にしてやろう。(嘘)