@SchizghoeBillyをフォロー ツイート ブログ 失業とiPhoneと悔恨の日々: 2011

2011年12月27日火曜日

心療内科通院第37回目

おはようと言いたいが、いつ寝たかといつ起きたが判らなくて、挨拶の出来ないのであった。
今日は帝京大学での診察の後、地元の病院でのでの健康診断が控えているので、診察の後処方箋だけを持って、いつも待たされる門前薬局には寄らず速攻で地元病院にとって返し、健康診断がを受けてから、近所の薬局で処方箋を出して薬を貰おうという計画が立っていた。
もちろん立てたのは母親であり、その根拠は、『暦』である。いつもの事だが、今回はちょっと正直無理がある計画に思えた。
そのためには先ず地元の調剤薬局に、私が常用している心療内科向けの薬があるか確認しなければならなかった。
健診を受ける病院とは遠いが、地元に一軒見つかったのだが、ただ一種類レメロンという薬が、同じ薬だが別の商品名リフレックスしかないとのことだった。

本年最後の心療内科は混んでいた。行の環七が空いていたのとは様子が違う。きっと年内中にカタを付けて置きたい患者が多数押しかけたのであろう。

待合室なう。今度こそ今年最後の診療だ。環七は混んでいなかった。待合室は混んでいる。多分正月休みを控えて不安がある人たちが診察を長引かせているのだろう。受付してから30分、ずっと同じ診察番号の人が部屋から出て来ないもん。 http://4sq.com/uTzPdN

結構待たされてから診察室に入る。友人の裏切りによる人間不信と、原田さんでも話して見せた例の注射器で吸い上げた血で靴紐を染めたブログの写真も見せる。
再掲 失業とiPhoneと悔恨の日々: これもリスカ?Youtubeで削除された自血染め〜きっと鬱病のせいだよ〜 http://noworknomoneyandsickend.blogspot.com/2011/11/youtube.html

先生には、今日は地元で健診があるからアイン薬局には寄れないが、地元の調剤薬局に、商品名は違うがレメロンと同じ薬があるのだが代替出来るのか確認も取ったので、処方箋を出してもらいそれらを引っ掴んで地元にダッシュした。
帰りの環七は、クリスマス後の月曜日ということもあって、やはり行きより混んでいた。それでも3時から受け付けが始まるところを3時半ごろに到着出来た。
で、2人とも健診が終わり、この後青砥の親戚の家にギンナンを届ける都合もあって、一旦車を自宅に停めて混んでいる環七沿いにある調剤薬局へは私が自転車で行くことになったのだが、母親が使っているサドルの低い空気の抜けた代物なので5、600mしか離れていない薬局に行くのに何遍も街路樹にぶつかりそうになった。
空気が入っていないタイヤではハンドルが効かないのだ。よくやく薬局の前まで辿り着いた時、薬局の正に正面にある植え込みに突っ込み、車道側に頭を向けて転けてしまったのだ。
まあ、膝を中心に打っただけで結局血も出ていなかったし、要するに私の転び方が上手かったというわけだ。

薬局なう。今日は地元で健康診断を受けるので、板橋区の帝京病院で診察を受けた後、薬局に寄らずそのまま検診実施病院へ直行。その後、予め存在を確認し、先生にも了承を取った、処方箋にある薬の商品名が薬局にあるものと違うとかで病院に確認を取ったところ、違う名前の薬は出しちゃダメ 今ココ

何箇所か、その時ツイートした文面をそのまま挟んだが、臨場感を出す為であって、決して手抜きではない!
前回なんか殆どツイートを繋ぎ合わせただけのような気もするが、気がするだけだ!
処方箋は、機種替えしたiPhoneで初めて撮る画像であるが、ハッキリと
レメロン
が処方箋に載っている。
誰が悪いのかといえば、決して私ではない。これは代替の話を聞いていながらレメロンではなくリフレックスという商品名を書かなかった先生のミスだ!
竹内先生、帝京病院辞めちゃう気かい?
処方箋画像。

2011年12月23日金曜日

2011年12月22日冬至の柚子湯の邂逅。

2011年の冬至で、母親が運転してくれて近所の温泉のゆず湯に入った。2009年の冬至で行った銭湯がボイラー故障で入れず、悔しい思いをしたが、溜飲が降りた。
その時の哀しくも可笑しい話は2009年のこのブログを参照して頂きたい☞http://noworknomoneyandsickend.blogspot.com/2009/12/20091222.html
実は、2年振りに風呂に入ったんだよ〜ん。鬱病で、ずっと風呂に入れなかったのです。
健康診断前に母親が頻りに風呂に入れ、駄目なら近所の温泉に連れて行ってあげるから、と言ってくれていて、
感にいった私は2011年の冬至の日、12月22日に向けて気力を貯めて来たのだ。
汚い話で申し訳ないが、これも鬱病の実態の一つなのです。
2年越しの恨みを晴らす、
冬至の柚子湯!
大谷田、明神の湯温泉にて。 http://p.twimg.com/AhRJjkSCEAAbJqI.jpg

2011年12月19日月曜日

心療内科通院第36回目

今日は、統合失調症用の薬「リスパダール」処方の初日。
----
先ず1mgから服用を始めるとの事で、様子を見る為に来週も通院する事になってしまった。この薬は最大20mgまで処方出来るので、大した量ではないのだが、意識を喪失する痙攣発作を2回起こしているという事で、様子見になってしまったのだ。
因みにこの竹内先生はアメリカの治療動向に通じているらしく、
アメリカでは
鬱病は
"DEPRESSION"
と表現するのが一般的だそうだ。
今年最後の診察は、
2011年12月26日
となる。
年末は混むし、母親にも負担が大きいから4週間分薬を出してもらって、何かあったら救急車を呼べばイイじゃん!
よしんばそれで死んだとして、望む処だ!
って言ったんだけどね〜。
それから、先生が言うには、
母親が一緒に診察室に入ってくる患者で良くなる人はいないとの事。
まあ、心理学的にいう、母親の支配から抜け出せない子供の事を言いたかったんだろうけどね。
私の場合、痙攣発作を起こしている間って記憶が無いし、傍で見ていた他人に容体を説明してもらうしかなかったからねえ。

今週一週間の薬代で1940円だったかな〜
これが3週間、4週間ともなると、
やはり障害年金を申請した方が、我が家の為なのか…っとも思う今日この頃。
認知行動療法の原田先生は、国試を受けるのに障害年金を受けていても欠格条項には引っかからないとは言っているが…人医でもそうなら、良いのかも知らんが。
----
処方薬は画像の通り。
iPhone4Sに機種替えしたら文字情報としてデータ化してくれないかな〜

2011年12月16日金曜日

原田メンタルクリニック通院第11回目

今年最後のクリニック。気が進まないな〜
統合失調症となると、国試で欠格条項が問題にされるかも…
#笑点 見てた時だったかな、投稿の時自動的にテレビ局のハッシュタグが付いて、そのハッシュタグのTLが読めるアプリで、呟いてる人のプロフィールをざっと見てたらサブカルどっぷりの若者ばっかりだった。その中に、"双極性障害、統合失調症のアスペルガー症候群です"ってのがあってさ、中二野郎

臨床心理士によるカウンセリング終了。生まれ付きの自己中心的被害妄想とその弊害、クビになる前の自覚無き鬱状態での注射器で静脈血を吸い上げて靴紐染めたりをネットで曝す行為、心療内科でデパスを処方された事と次回は統合失調症の薬を処方される事を伝え切った。でも、何か言い足りないような…?
カウンセリングに伝える内容をカレンダーのメモ欄に書いて置いたのを貼ろう。

伝える事
1.生まれ付きの被害妄想とその同居、結局何をしても自分が世界の中心で世界は自分を陥れ殺す為に存在しているという感覚。
妄想の内容「子供の頃、自分が認識している全ての世界は自分を殺すために存在していると信じていた。黒幕は一番意外な人物、9歳年下(幼児)の従兄弟だと思っていた。しかし、何故かそう信じつつ日常生活を送る自分も居た。友達と遊びつつ、こいつは殺人者の手先で私の隙を狙っていると信じていた。」

2.仕事をクビになる前からの不眠や身体の痺れ、不安感に悩まされていた頃と思われる(自覚が無い)の自傷行為。
http://noworknomoneyandsickend.blogspot.com/2011/11/youtube.html

3.心療内科でデパスを10回分処方された事と、今度は統合失調症の薬を処方する予定である事。

そして今は先生の診察待ち。5分間診療だから、気合を入れて内容を圧縮して伝えねば。
お歳暮を持って来た患者にはきっと対応が良くなる。個人クリニックだから。

まだ診察待ちいんぐ。

診察うぉず。相変わらず役に立たないアドゥァイスを頂き、時間だからってとっとと追い出して頂き、ありがとうございます、原田先生。
1人10分だそうです。ぷっ。

来年もヨロシクな。

2011年12月11日日曜日

カマドウマ、不埒にも寝所へ!

イヤーびっくりした。私が寝ている三畳の部屋は、この間痙攣発作を起こした時、暫くはベッドの上では危なくて寝せられないと母親が言うので、僅かな床の隙間に布団を敷いてそこで寝ろと言われていたのだった。で、敷きっぱなしに。
気温が低かったせいか、虫の動きは鈍く、写真を撮るのは簡単だった。
それにしても、いつも締め切ってある私の二階の部屋に、カマドウマがね~それも、この季節に。いや、やっぱりヤツも寒かったのか?

自慢するようだが、私の視力は右0.4、左1.2とガチャ目だが、こと生き物に関しては焦点が合うのが速いのだ。
ゴッキーとは違う!と判断するのは得意だ。うん。

ところで画像は発見時の姿と、ティッシュでふわっと捕まえて腹側を撮ったところ。専門家なら、腹側の画像を見ればオスかメスか分かるんだろうな〜。
ところでカマドウマは直ぐ脚が取れるので、可哀想だからもしあなたが発見したら、優しく外に出してあげてね。

2011年12月3日土曜日

順天堂大学付属病院は院内薬局で困った問題。

順天堂大学附属病院は、院内処方であり院内薬局の窓口で処方薬が渡される。
私の父親は順天堂病院に通院している。話せば長いが(このページ参照 馬尾神経脂肪腫とペインクリニックへの旅路)、手術は不可能と判断され、余りにも痛みが治まらないので、新薬で今のところまだ2週間以上は処方出来ない「トラムセット配合剤」を処方されている。
一般的に痛み止めの薬は消化器官にダメージを与え、酷くなると胃に穴が開く事もあるので、消化器官保護用の胃腸薬を併用して処方される。有名な所ではロキソニン、ボルタレンなどがそうである(私の叔母は実際に胃に穴が開いたので間違いない)。
父はトラムセット配合剤用の胃腸保護薬として、ナウゼリンを処方されていた。
以前書いたかもしれないが、ナウゼリンは吐き気どめの薬として古くから使われている。胃腸にも存在しているセロトニン受容体に作用する薬だそうで、精神病系の薬を処方されている人は、同様にセロトニン受容体に作用する薬を飲んでいる可能性が多いので非常に注意が必要になるのだ。
ところが順天堂病院の薬局の窓口では薬剤師は何も説明せず。
父親が、この薬を飲んでからどうも便秘がひどくなったんだと窓口で訴えると、ようやく薬剤師が「トラムセット配合剤には便秘の副作用も報告されています」と白状した!
もちろん処方される薬にはそれぞれ効能効果・注意事項・副作用を記した説明書が着いて来るか、そこには便秘とは書いていなかったのである。
そりゃーインターネットとかで調べれば副作用の三つや四つ書いてあるだろうよ。
しかしウチの父親は携帯電話も持っていない情報弱者なのだ。
情報弱者である事について、本人に責任が問えるのか!?どーなんだ!
私が通院している帝京大学附属病院は、院外処方である。だから病院の周りには門前薬局が市をなしている。
外部の薬局は親切だ。私はアイン薬局に頼んでいる。
私は薬の数が多いので待ち時間はいつも1時間以内程度である。
しかし順番が来た後の薬剤師の応対は懇切丁寧だ。
飲んでいる薬に対してこちらが当たり前だと思っていた症状も、実は薬の副作用の可能性があるので担当の先生に聞いてみて下さいとか、その場で疑問点がある時は一旦処方箋を書いた病院の先生に電話で確認までしてくれる。まあ、その分時間は掛かってしまうのだが。
大学病院と一口に言うが、中身は全く別物のようだ。
院内紹介一つとっても、帝京大学は、今自分が掛かっている科以外で診察の必要が生じた場合、院内紹介はしてくれない。自分で他の科の受付に行って、予約を取る必要があるのだ。
その点順天堂病院は、自分が掛かっている科の先生がその場で他の科の先生に連絡を取ってくれて、予約してもらえるのである。
これは東京医科歯科大学附属病院でも同じだった。
帝京大学では、一番新しい電子カルテシステムを導入していますとは言っているが、患者の便宜は図ってもらいたいものだ。

2011年12月1日木曜日

友達って何?裏切り、寛容、増長そしてサヨナラ

CANNIBAL CORPSEの前売りチケット、ライヴ当日に無い事に気付いて焦って探し回ったんだけど見付からなかった。結局遅れて行って、当日券を買って会場に入ったんだけどけど、オールスタンディングだったからドアを開けたら人の背中だけでステージも何も観えなかった。一緒にチケ買った友達は妙にバカにしやがってた。
それとは別に、そいつに貸してたAKIRAの漫画、ずっと何ヶ月も貸してて催促しても返さなかったのに、何故かそのライヴの日に返して寄越したんだけど、ウチ帰って見たらページの間に私の前売りチケットが挟んであった。

そいつ御茶ノ水のディスクユニオンHEAVY METAL館の店長も勤めたヤツで、段々マニア面してヒトの事小馬鹿にするようになって行きやがったんで、ウザくて付き合うのやめてんだけどしつこくて、金が無いからって断ると、ヒトの給料日覚えててその日の前後にメール寄越すようになってきやがった。

当然メール無視。と、今度は通話で「何で無視すんだよ!こっちの予定が立たないだろ!」って何だ?その、オマエは自分の子分だろ的な逆ギレはよ。
お前、その時既に他に友達いなかったんだろ?
しかも金も無かったんだろ?
私が一緒に取ってやったCRADLE OF FILTHのチケット代6500円、結局踏み倒したし。何がスロットで儲けてて、スロ専用の貯金口座が100万円あるとか抜かしやがって、誰が信じるかっての!

とはいへ、こっちもお前は随分利用させて貰ったし、レア音源ダビさせたりヒマつぶしにも付き合わしたしな。お互い様な部分は相当あるよ、、、
だがな、カネの話は別だ!
結局私に見棄てられてから入院したり親が車椅子になったり爺さんが死んだり、それが報いだよ。ザマーミロ。
だがな、カネの話は別だ!!!
それからな、SIGHのデモ、ダビさせなかったのは赦さん!!!

結局、私のCANNIBAL CORPSEの前売りチケ。本当は自分が持ってましたって謝罪しなかった、アレで心底アイツの事信頼出来なくなって行ったな。
向こうは向こうで、コイツは謝らなくても大丈夫な甘ちゃんだって舐めてかかるキッカケになったんだろうがな。

この場合、私にも相手を甘やかし、増長させた責任はあるのかも知れないのは認めざるを得ない。
人間とはそうした生き物であるからだ。

しかし、だからと言って、私が悪い訳では無い。絶対にな!

2011年11月28日月曜日

心療内科通院第35回目

今日は道が空いていて、着くのが早かった。そのお陰か、診察も早かった。内科受付けを終えると800番台の患者が診察室に入っており、椅子に座って待っていたら次に呼ばれてしまった。
薬を減らしてから苛々するのが我慢出来なくなったので、薬を戻してくれと言ったのだが、やはり痙攣・意識消失の大発作を2回も起こしたとあって、薬は増やさず様子を見たいとの事だった。
ツイッターで、デパスを処方されている人の話をしたら、じゃあデパスを出しましょうという事になってしまったよ。
別に薬の素人じゃないんだし、ツイッターでそんな話題があったってだけだったんだけど、偶然デパスには筋肉を柔らかくする作用があるとの事で、頸椎症で右半身が痛む私には非常に合っていたのであった。
しかし処方箋には頓服10回分しか書いておらず、3週間分の薬なのでまた薬局から病院の先生へと問い合わせをする事にしてもらい、また待ち時間を食らった。ついでなので、医者に聞き忘れた、車を運転していいかも聞いてもらう事にした。
で、結局デパスは初めて処方するので10回分にしとけ、自動車の運転は副作用に気を付けて止むに止まれない事情がなければ避けた方がいいが、法的に問われるものではないとのこと。
今回の診察は、認知行動療法の方で言おうと思っていた、子供の頃の、周りの人間が自分を殺そうと企んでいるという妄想も電子カルテに打ち込んでもらった。
前回話が出た、統合失調症の薬は、今回デパスを初めて処方するので、見送りとなった。

処方箋には画像の通り。今日はカメラが立ち上がらず焦ったが、一旦メールを立ち上げてから写真添付を選択したら何とかカメラ機能が生き返った。
縦画像なので、あとでカメラロールで修正できると思い、メールは送らず。
思った通りカメラロールに入っていたので、横向きに修正して保存しておいた。
iPhone3GsにiOS5がインストールされているので、色々無理があるのだろう。ツイッターアプリもよく堕ちるし。
12月13日にiPhone4Sに機種替え予定だが、それで全て完璧に行くとは思えんがな〜

2011年11月26日土曜日

これもリスカ?Youtubeで削除された自血染め〜きっと鬱病のせいだよ〜

私は常々、リスカは本当に死ぬべきだと思っている。
正しく手首を切る方法も提案して来た。
何故ならリスカという行為は常に他者を観客としている。リストカットをする者たちは手首を切る際、人前で見せつける・人目に触れずに行うに拘らず、自分の様々な心情の内部を他者に見せつけたいという欲求に駆られて行うからである。

皮膚を切り開く行為とは自分の内部を曝すのと同義である。
流血とは生命に拘る液体を失い死に至り得る行為である。

故にリスカとは、流れ出る血液をもってして己の生命の危機の訴えを託し、強く他者の関心を買おうとする行為であると言えるのである。

だが、翻って考えてみれば、他人が彼らの手首を切ってその流血を見てくれと言って来たとして、あなたは彼らに関心を持つだろうか。せいぜいその内ある確率で死ぬかも知れない人物であるだろうと看做すだけではないだろうか。或いはあなたが目の前で人が死ぬのを見て見たいという価値観の持ち主なら人間関係を積極的に持とうと考えるかも知れないが。
現に私は犬の病気平癒を願い手の甲に切り付けた傷を自慢げに友達に見せようとしたが、冷笑されただけであった。

もう当人も分かっている通り、リスカは自己満足である。
しかしその満足は欺瞞である。
リスカを自慰行為のように続けている限り、真の欲求である他者からの関心は得られない。
リスカ以外の努力をするのが嫌な人は、死んでこの世からいなくなり、あるかも知れない別の世界やあの世に行くしかない。

もし今生きているこの世界が気に入っているか、未練があるならば、リスカという迷惑な自己開示をする前に

その皮膚の下の、血液が流れている身体を持った、自分自身の中身を充実させるべきである。



以下の画像はYoutubeにうpしたが規制に引っかかって削除され、アカウント削除の危機のにあった所を、すいませんの文を英語で送ったら何とかアカ削除だけは免れたという思い出のある動画の一部の画像である。
内容は自分の両手手首の内側に浮いている静脈から注射器で血液を吸い上げて、新しく買ったスケシューの真っ白い紐を染めようとするという動画で、ひょっとしたらここBloggerでも削除されてしまう可能性もあるかも…

でもこれもクビになる前、かなり精神的に異常をきたしていた時の行動なので、鬱病がなせる業ではないかと思うのです。









注射器で手首の静脈から血を吸い上げているところ


血を抜いたばかりの静脈の上の皮膚。まださほど目立たない


血を抜いてから数日後。段々内出血が広がって来たwww

2011年11月18日金曜日

原田メンタルクリニック通院第10回目

原田メンタルクリニック。エレベーターの前に下駄箱があって靴を脱がなければならないが、スリッパがバラバラ。
受け付け、キビキビしろ。
あ〜あ〜患者皆んな普通そうな人ばっか。君たちホントに病気なの?

カウンセリング。
思考を言語によって客観的に概観し、言語によって敷衍された行動原理を描き出し、描き出した行動原理をピクセルを埋めるように部分から実行していく、それが認知行動療法だと解釈している、と伝えてみる。
言葉の速さでしか考えられないから自分は並以下なんだ、と臨床心理士の方に相談した。
このクリニックに来てから、カウンセリングも診察も、認知行動療法とは何かの定義に終始している気がする。

先生の診察では、母親が勧める漢方薬を処方してもらえないかと相談する。帝京の先生に断られたヤツだ。
先生の意見では、痙攣発作は大発作で、それを2回も起こしているんだからこれ以上薬は、漢方薬でも止めた方がいいとのことだった。理由として、何故かカリウムが含まれているからを挙げていたが、私だって漢方は元来毒である事など知っている。
数学の勉強先が茫洋過ぎて探せないと言ったら、大学受験、数学、基礎から、という検索ワードを提示してくれた。今日の収穫であろう。
親子三代独り言体質も伝えた。
自分は鬱病なのか?との疑問も呈してみたが、はい時間切れ。それま〜でェよ〜


今日のBGMはシューベルト。ウィーン弦楽カルテットって、この訳合ってる?

2011年11月16日水曜日

明治の士族の人々の置かれた立場について

以前のブログ「#鬱 ぶやき 親子三代の社会適合性欠如の背景分析と考察・展望台デッキ」
http://www.blogger.com/post-edit.g?blogID=5785508597058455522&postID=2523254020622971984
で、士族の子供が役者の弟子になったのは、当時は今より自由だったのではないのかと想像する以外に無い、と書いたのだが、やっぱり大変だったらしい。こと結婚に関しては。
そうはいいながら、昔、茨城県のある職業の女性が士族の男性との大恋愛の果てに、赤ちゃんも出来ちゃったって事もあって、何とかまとまった事があったそうだ。

結局、必ず最後に愛は勝つ!ってことでしょう。

iPhoneとガラケーで撮ったクリスマス画像

ツリーとかイルミネーションとかだねえ。PCに入ってる、ガラケー時代の画像も後で足してみよう。

先ずはiPhoneで撮った2009年以降のクリスマス画像。

以上iPhone画像。


ここから2008年までのクリスマス画像。
画素800くらいのガラケーで撮ったんだけど、何だかiPhoneのより小さいな…?




大体水道橋〜神保町近辺の画像です。
クビにされた会社がそこら辺にあるから〜

DEATH ON METAL: BARRIER KULT Fall / Winter 2011/2012

DEATH ON METAL: BARRIER KULT Fall / Winter 2011/2012: Now on Stock

2011年11月15日火曜日

昔のブログを読んでみた。

それは、昔自分が書いた日記を読むようなコッパズカシさが…
まあ、中二病ほどではないが、鬱病とはいへ、本質的に人間は変わらないのかと学んだな。
中二病は、人間の宿業の様なものだと気が付いた。
それはつい一つ前の投稿でも変わらない。


それはそうと、ケータイSMMから投稿した場、フォントもいじれないしリンクも貼りようが無いという事に気が付いた。iPhoneのアプリにBloggerがあったので、ダウンロードして(無料だ!当然)使ってみた。
投稿する時にわざわざSafariを開くだの、書きかけの投稿が動かないだのイライラさせられるが、投稿は出来る。
しかし画像を付けるのはケータイからの投稿でも出来るし、そもそもBlogger自体が単純で(その割に使いづらいが)、もっと色々やりたいとか出来るとかいう人は、選ばないサービスなのだろう。

反論があるなら受けて立つ。

今FACEBOOKにリンクを貼ってみた

普通に飛べる。GoogleのBloggerって、ヘルプとかも以前よりは改善したけどいきなり英語だけになったり、もう少しなんとかならんのか。成り行きでブログ開設しただけで、友達とかアメブロだし、
はぁ〜〜〜〜〜〜〜後ろ向きに拍車がかかるぜ。
とはいへ、ここで投げ出しても他にする事無いし。
Googleのあほー
日本事業なめ過ぎだー
どんだけ賢い連中が運営してるっちゅうねん。
給料だけバブルだぞー
もっと働けー自分に鞭打てー!!!

リンク無効?

GoogleのBloggerって、貼ったリンクに飛べないの?ブログってそういうもん?それともこいつが悪いの?!

2011年11月14日月曜日

馬尾神経脂肪腫に関して見つけたリンク

脊髄腫瘍(脊髄髄内腫瘍、脊髄髄外腫瘍、馬尾腫瘍)

馬尾腫瘍(Tumor of Cauda Equina)

病態と診断
http://www.geocities.jp/sekizuishuyou/babishuyou.html

2011年11月13日日曜日

#鬱 ぶやき 親子三代の社会適合性欠如の背景分析と考察・展望台デッキ

私は思った事を言葉に表現しないではいられない。多少遠慮はするが、それらを喋ることに意義があると信じている節がある。
実は父親も全く同じで、朝起きて来ると、1人で喋り始める。相槌があろうがなかろうがお構いなしである。
話題は政治や犯罪など新聞程度の同じ話題を繰り返したり思い付いた別の話題に次々飛ぶ事もある。
しかし、譫妄ではなさそうなので、一度父親に尋ねてみた。「何を何故今喋る必要があるのか?」と。
答えは、大した意味は無い、目に付いた新聞の話題を論じているだけだと。別段会話するつもりも無いと。
祖母もそうだった。記憶にある祖母はいつも何か1人で喋っていて、話し掛ければ会話にはなるのだか、何時の間にかまた独り言に戻ってしまう。
明らかな病気ではないようだか、問題は、この独り言癖が親子三代この私にまで受け継がれ、私の代になってとうとうクビを切られるという実害が出てしまった事だ。
そこで私は、持てる情報を元に三代前からの困った性癖を客観視して見る事にした。
祖母は会津藩士の孫で、会津戦争で曽祖母は自害、曽祖父は片目を鉄砲で失ったそうだ。明治になってから、松平容保公の東京行に同行し親子で東京にやって来た。父一人と子供達で麻布の長屋に住む事になった。長女の渡辺キノさんが、後の私の祖母の母親、春日キノさんとなる。同じ長屋には旧薩摩藩士が住んでいたが、図らずも賊軍と呼ばれる身となった者同士だからなのか、お互い目を合わせるだけで何かを語ることはなかったそうだ。
ところで渡辺家は渡辺綱を先祖としており、綱に関して様々な言い伝えがあったそうだ。その中でも特に厳格に守られていたのが、正月に松の木を飾ってはならない事であった。
あくまでこの家に伝わる伝承だが、渡辺綱は一条戻橋で茨木童子の腕を斬り落とし持ち帰るが、伯母の姿に化けた鬼に腕を持ち去られてしまう。
この時鬼は松の木を伝って飛んで逃げた、との伝承が渡辺家では伝えられているので、正月飾りに限らず、松を忌む様になった。
以来渡辺家並びに親戚は、正月に松を飾る事を固く謹んでいたのである。
それは明治・大正・昭和に時代は移っても守られて来たのであった。

しかし戦後、根岸の家を戦後のバラックに奪われ、知り合いを頼って葛飾区の青砥に新たに居を構えた時、祖父はどうせならと立派な門松をたててしまった。
祖父は、茨城県潮来に和田館という屋号が残っているが、この和田氏の子孫で、やはり士族である。
太田道灌の江戸入りに伴い駆逐された関東武士団の一派であった。
その際氏名を変えているので、現在の苗字は和田ではないが、和田館・和田荘にその名を留めている。

話は戻るが、戦後財産や家系図なと古文書を失ったとは言え、葛飾区青砥に再び家を再興出来たのを言祝ぎ、彼は正月に門松を立ててしまった。
そして我が祖父はその年に脳出血で倒れ、帰らぬ人となった。享年53歳である。

以来渡辺の血統の人間及びその家族はは松飾りをしない。正月マニアである私には痛恨の極みである。

春日氏は長野の高遠藩士の子孫だそうである。
春日キノさんの主人は早くに亡くなっており、結局実家の麻布の長屋に帰って来た。キノさんの子供達3人は旧会津藩士の祖父と暮らす事になった。
あの時代、生活に余裕は無かったが、周りの人は皆んな人情があったと祖母は繰り返し話していた。

この繰り返し、場合によっては相手がいなくても喋り続ける、という性格傾向は、その子供達、そのまた子供達にも脈々と伝えられて行った。
社会生活を送るに当たっては、諸刃の剣とも言える性質であった。
遠縁に芸者をやっている女性がいた。柳橋で売れていたお政姐さんで、この人には本当に世話になったらしい。
キノさんの子供達の、姉達を見習いとして自分の座敷に住まわせ身の回りの世話をさせる代わりに必要な分の給金をくれた。
と言っても売れっ子芸者にはいくらでも付き人がおり、実質預かって育ててくれていたのであり、学校にも行かせてくれていた。
弟は、お政姐さんの旦那が市川家の歌舞伎役者だったこともあるが、とにかく男前だった(当時の人の証言)ということで、役者の弟子にしてもらったのだった。戸籍に士族と書いてある家の子供がなぜ役者に?と思うのだが、当時は多分今より自由な気風が溢れていたのではなかろうか、と想像する以外ない。
それに、姉は男前の弟が自慢で仕方が無かったらしく、ある日池の端を二人で歩いていたら、弟の女中さんに間違えられたそうであるが、却ってそれをいつまでも自慢にしていたくらいだった。
お政姐さんの援助もあって学校を卒業した祖母は、結婚する前に色々な仕事をしていたそうだ。
帝国ホテルの中で働いていたこともあったらしい。
そしてある研究所で働いていた時に(ラボラトリンと呼ばれていたそうだ)、その研究所の研究員と結婚したのである。
結婚してから祖母は4人の子供を産んだのだが、お産の度に産後の肥立ちが悪かったのか、谷中の方にあった、患者1人に看護婦が1人付くといういくらかかるのか分からない産婦人科病院にしょっ中入院していた。
しかも入院すると幻聴が聞こえるとか騒いだり、一晩中ブツブツ喋っていたり、奇行が多かった。終いにはその時小学生だった自分の娘に病院に付いていてくれるよう言い出し、いくら周りが宥めてもいう事をきかなかった。結局娘は学校が終わると病院に帰宅し、予習や宿題をやって、夜になると祖母のベッドの横にベットを置いて寝る。翌日になると病院から登校する、という事をさせていた。
こんな状態なので当然子育ては難しいく、親戚や親しい知り合いに頼むことになる。祖母と子供達4人の微妙な関係性はこれに端を発している。
世話を任される方の大人も、自分の子供じゃないから少しは遠慮があるので甘やかす。畢竟子供達は、それぞれ世話になった親戚や知人に懐くようになる。
詳しい経緯は分からないのだか、祖母は複数の宗教団体に入信し、相当カネを使ったらしい。
祖父は自営業を経営してしたが、53歳で脳卒中で亡くなった。
幸い後継がいたので、祖母は益々宗教にのめり込む。向こうではカネを落としてくれる上客なので、祖母が喋りまくることに何でも頷いてくれる。
恐らくこうやって思った事を全て言葉にするという精神構造に拍車が掛かっていったのではないだろうか。
そして、父親もまた先祖から受け継いだ性質の上に、こうした成長の環境が加わって、あの人格と性癖が形成されたのであろう。
こういった背景がこの私を作り上げていた。
しかし背景はあくまで背景である。私の人生は私しか歩めないのだ。

と、人生の展望デッキにたち(スカイツリー当たりでひとつ)、展望するのであった。

2011年11月11日金曜日

馬尾神経脂肪腫とペインクリニックへの旅路

私の父親は、背中の痛みに悩まされている。最初近所の病院で脊柱管狭窄症と診断された。手術後も痛みが取れる確証は無いが、と手術に踏み切った。しかし手術当日、医師が突然中止を伝えて来た。どうやら診断に自信が無かったらしい。
途方に暮れたがしかし、そうもしていられないので、他の病院を探し、人伝に聞いた東京医科歯科大学附属病院を頼って診察してもらうことにした。ここでの診断は、馬尾神経脂肪腫。腰椎では脊髄が枝分かれして馬尾神経という多数の神経となる。腰椎の脊柱管内に発生する腫瘍は、馬尾神経腫瘍と呼ばれる。この腫瘍が脂肪であるものが馬尾神経脂肪腫である。
幸い悪性ではなかったが、髄膜の中の枝分かれした神経に脂肪がついているので、手術で除去するのは不可能だと宣告された。
ここから、ペインクリニックへと関心が移っていくのだが、東京医科歯科大学附属病院でも課は設けているが、例の無い症例だと医師が及び腰になり、断られてしまったのである。
病院からは痛み止めの飲み薬セレコックスを処方されただけだった。
次に隣にある順天堂大学附属病院に行き、2011年11月2日に初診を受けレントゲンを撮った 今ここ。次回の診察は一番早くて11月30日。MRIの結果を診断する筈なのだが、院内では予約がいっぱいで撮影が間に合わない。
そこで順天堂大学付属病院では検査を外注していて、父親も順天堂に程近いMRI撮影専門の施設に出掛けて行った。
病院からは検査機関の連絡先だけを渡され、予約の電話も患者自身が行ない、会計もそこの施設で済ます。患者は撮影したフィルムを受け取り自宅で保管して、順天堂病院へ診察に行く際に持って行って医師の診断を受けるのである。
父親がこの病院でペインクリニックを受けられるかどうか、分からない。もし駄目ならまた別の病院に、ドクターズショッピングへと出掛けなければならないのだ。
----
画像は、検査施設の入っている新御茶ノ水駅ビルから見えるニコライ堂。
撮影したのは数年前かなあ。

追伸:馬尾神経腫瘍を手術なさった方の術・術後のブログをまとめられたページを見つけました。
このページにリンクを張る許可を求めたメールを差し上げたのですがお返事が無く、
日付が2005年とあるので、もう放置されたアカウントなのかと勝手に想像し、勝手にリンクを張らせていただきました。もしご当人様が気が付かれましたらば、是非ご連絡下さいますよう。草々
馬尾神経腫瘍 病気日記

新御茶ノ水の駅ビルから見えるニコライ堂

順天堂大学附属病院から外注を受けている検査施設から見えるニコライ堂。撮影したのは数年前。

うん、

自分ブログに向いてない。ところで、このブロガー、未だに動画はUP出来ないの?

2011年11月7日月曜日

心療内科通院第34回目

処方箋は前回と同じ。
統合失調症の薬は、今回は出されなかった。
もう、こうなったら診察室で粘るしかないね!医者を追い詰めて、病欠にしてやろう。(嘘)

2011年10月24日月曜日

心療内科通院第33回目

処方薬は前回と同じで、期間は2週間分。
----
医者と話していたら、言動に統合失調症の気があるので、統合失調症の軽い薬を出して見ましょうかという話になった。
をい、こないだは癲癇の軽い薬を出して、痙攣発作に襲われたんじゃなかったのか?!
大丈夫かよ、この先生

2011年10月20日木曜日

ケータイのアドレス帳が飛んだ〜

同期をしたら、カレンダーの項目は二重になるは、アドレス帳は消えてるは、ロクなことがない。iPhone4Sが発売されて、OSが進んだらしいんだが、そのおかげかも知らん。ジョブズめ〜とんだ置き土産だぜ。

2011年10月17日月曜日

心療内科通院第32回目

先々週の金曜日、引きつけの発作を起こし救急車で近所の病院に運ばれた、らしい。それ以前の記憶が曖昧というか、遠い。く感じる。
で、原因は不明との事だったのだが、心療内科でうつ病の治療を受けていて薬も処方されているのなら、その薬が原因の可能性もあるとの事だったので、予約よりも一週間早いが病院に行く事にした。一週間あいだを置く事になったのは、先週の月曜日が体育の日で休日で、心療内科の先生は毎週月曜日にしか来ないからである。
で、今日病院にいったのだが、やっぱり原因はよくわからないが、薬を減らしてみようかという事になった。トレドミンが一錠減って3錠に、トフラニールが一錠減って1錠になった。ミオナールとエパデールは中止になった。
画像の通り。

2011年9月26日月曜日

心療内科通院第31回目

ドグマチールは止める事になった。
脳を含めた血流を良くする為のEPA製剤エパデール(多分)が追加になった。母親が頻りに痩せる効果のあるツムラの漢方薬を処方させようとしていたが、番号が思い出せず、失敗。
帝京は漢方薬には懐疑的なようで、積極的には処方したがらないようだ。慶應では処方してるがと水を向けると、医学的に論文では証明されていないからだと反論していた。
あっ結局、頭痛は今までと同じカロナールが処方されるのかっ
今日も混んでいた。
が、隣の使っていない筈の診察室に頻りに出入りがあり、同じ人が私の行く診察室にも出入りしていた。あれは一体なんだったのか。
そんな感じかな。

2011年9月12日月曜日

原田メンタルクリニック第8回目

カウンセリングの時間がオーバーすると、その後の診察時間が短くなって時間を調整しているのだろうか?そんな日だった。
前回と進展はない事を〜長々話していただろうか。
家系的にアルコール・薬物に依存しがちな傾向があるよ〜と伝わったのは今日の成果だろうか。

スタートするには遅すぎるのか。
この方向は間違っているのだろうか。
ゴールに付く前に力尽きないだろうか。

常に自問だ。

2011年8月29日月曜日

心療内科通院第30回目

前回トレドミンを減らしたところ、肩・腰を中心に体の右側が痛み出した。
結局トレドミンは4錠に戻し、特に肩の痛みに効くというミオナールを新たに朝昼晩3錠処方された。
母親がしつこくこだわる目眩・酩酊状態ってのの防止に、トフラニールを減らすかどうか押し問答になったが、結局現状維持で。もし異常が現れたらトフラニールを減らすように、と落ち着いた。
今日は待合室にはあまり人も居らず、電光掲示板の表示は、予定通り〜30分遅れ〜60分遅れ、と表示が変わって行ったが、比較的早く順番がきたほうだと思う。
その代わり薬局は待たされるようになったな〜
薬の種類が多いからだと推定している。前回、ドグマチールを半錠に減らした時、処方箋には"粉砕"と書いてあったので、薬局側が、単純に半錠にするのか、一旦粉砕してから半錠分包むのか、帝京の先生に問い合わせをしていたということで、何と1時間半待たされた!薬局で!!!
院内処方の大学病院ならいざ知らずッッッ
そして今日も30分以上待ってるが、ほら、順番がまた飛ばされて行くよ…。
・゜・(ノД`)・゜・。

2011年8月22日月曜日

原田メンタルクリニック第7回目

欠格条項はクリアできるらしい。問題は学力、学費…先生は奨学金を勧めるが、獲得できる自信は全く無い。。・°°・(>_<)・°°・。

2011年8月8日月曜日

しかし、

ドグマチール、どうやって半錠にするのだろうか?

心療内科診察第29回目

トレドミンを3錠に減らしたのを忘れていた。昨日と今日二日間だけ3錠で、後の5日は4錠飲んでいた。
今回はドグマチールを半錠に減らす事になった。
次回はお盆を挟んで三週間後。
アイスクリームは夜を除いて食後に食べていいそうである。
血液検査の結果は、クレアチンキナーゼが低い他は健康だった。クレアチンキナーゼは筋肉が破壊される時に出る項目で、運動をしていないという事らしい。
悪玉コレステロールと善玉コレステロール・総コレステロールは、保険の範囲内では一度に測れないらしい。

2011年8月1日月曜日

心療内科診察第28回目

トレドミンを3錠に減らした。
ドグマチールは復活した。
最近頭や身体中が痛かったり、また朦朧状態に陥っていたようだ。
処方箋は画像の通り。
----
食欲が強い。
太った。
ので、血液検査もやってもらった。
今日の会計4000円!
いつもは410円なのに…
とりあへず来週診察の予約を取らされた。
そしてとりあへず量や時間は関係なく、3食取るように言われた。間食は禁止だそうだ。

2011年7月25日月曜日

原田メンタルクリニック第6回

カウンセリングの後診察。カウンセリングは、いまいち。埼玉のキチガイの話もした。後、殺したいとか死にたいとか。罰よ当たれとは言わなかったが。当たれ!!!
診察では、大学受験に向けて、精神障害年金を受けておくと予備校の費用やら学費やらに資するというアドバイスをもらった。ネットで自分で調べろとの事だったが…入院では一級、通院では二級が取れるそうで、二級だと7万円くらいだそうだ。

2011年7月4日月曜日

心療内科通院第27回目

今日も自家用車で送り迎え。
ドグマチールを減らす事になった。
何故か今日は先生の機嫌が良かったようで、饒舌だった。気分で診察するなーっ
----
処方箋は画像の通り。

2011年6月27日月曜日

原田メンタルクリニック第5回

大学行き直しの話をする。基本的に好きなようにしなはれという立場。カウンセリングも診察も、そんな感じで進展なし。しかし何故か母親はこのクリニックを推している。根拠があるのか?

2011年6月13日月曜日

心療内科通院第26回目

今日は自家用車で送り迎え。電車で行くより早く着いた。処方薬は同じで、3週間分。いつもの通り処方箋を画像でアップする。
原田メンタルクリニック一本でいくとはまだ言っていない。

2011年6月6日月曜日

原田メンタルクリニック第4回

今日は母親に連れられて病院に行った。リリカのせいでかでとんでもない目にあった話しをしてもらう為である。伝わったんだかそうでないんだか…
風呂にはいるのも認知行動療法だってさ。
わーってるわい!自分で入浴出来たら医者になんざ懸らねえよ!!!

2011年5月30日月曜日

2011年5月9日月曜日

原田メンタルクリニック第3回目

初カウンセリングあり。30分間(多分)
カウンセリングのあと診察。
今日は2人連れが多かった。
カウンセリングは、認知行動療法に向けたカウンセリングの役割の説明の後、初診の診察で原田先生に話したことをまた繰り返し話す感じ。さくらやおばあちゃんの死や、冷房とオーバーワークでうつ病になったらしいことやそのせいでクビになったことなど。朝起きられないことと風呂に入れない事が社会生活を送る上でネックになっている事は認識していると言っておいた。
その後の診察では、前回と気分は変わらないと言っておいた。風呂問題に関して自分でぼんやり考えいた対策を話したら、先生はいい方に向かっていると考えていたようだ。どうかなあ。
次回の予約は4週間後、6月6日時間も同じ。
そういへば、午後の診察は2:45からだそうで、30分早く着いてしまったら、エスカレーターが開いたらクリニックの扉が閉じてあってたまげた。
扉に『午後の診察は2:45からです』と札がぶら下がってて、間抜けヅラ下げて下駄箱の横の椅子に座るはめになった。
薬を原田メンタルクリニックで貰うかはまだ決めていない。言ってない。

2011年4月25日月曜日

リリカ カプセル。

心療内科通院第23回

今までの薬に加えて、リリカという薬が処方された。
末梢神経の痛みに対応した新薬だそうで、元々は帯状疱疹の後の痛み・てんかんの手の震えなどに処方されるということだ。
整形外科からはこの薬を出すよう指示が出ていたらしい。何故隠す!

2011年4月7日木曜日

原田メンタルクリニック第2回目

診察はほぼ前回と同じ。風呂に入れないのはうつ病のせいではなく、自分の考え方のクセだと言われた。
帝京病院に変わってこちらで薬を出してもらえる事も出来るようだ。
次回は5月9日。臨床心理士によるカウンセリングの予約も取った。15分くらいらしいが…

2011年3月28日月曜日

心療内科通院第22回目

原田メンタルクリニック通院後(震災後も)最初の診察だが、目新しい事もなく…「原田さんは日本でも有名ですからねえ」を繰り返す。
結局処方箋は同じまま。4週間分出してもらった。
原田メンタルクリニックから薬を出してもらう事も可能なようだが果たして。
かきわすれたが、原田メンタルクリニックの初診の問診票に"付添人との続柄"を書く欄があった。1人で通う人は少数派なのか?

2011年3月23日水曜日

原田メンタルクリニック初診

9時からの予約だったが、計画停電のための間引き運転のためか、却って早く着いてしまい(8:30)。認知とは、とそのための行動をどう起こすのかをカウンセリングするらしい。今日行った時点では目新しい事はない。うつ病から脱却出来そうかとも分からない。二週間後に予約を取った。帝京へは今まで同様通うとな。

2011年2月28日月曜日

心療内科通院第21回目

整形外科で、指のしびれ・痛みは頚椎から来ていると判明。ようやくだ…
心療内科では今回ドグマチールを1錠に減らす事に。次回は4週間後の3月28日に予約。
それから、原田メンタルクリニックへの紹介状は郵送で送ってよこす事になった。

2011年2月7日月曜日

次回は2月28日。もう21回も帝京に通ってるのか〜治らねーなーヤブだな。
次回は花粉が舞い散ってるだろうなあ。気が重い

心療内科通院第20回目

レメロン2錠に増量。アモバン追加。
次回は朝10時から整形外科の診察だ。かったるい

2011年1月17日月曜日

心療内科通院第19回目

今日は特に混んでいる。診察はサラッと、食欲が出て来ているというと、少し良くなっている事にされてしまった。薬局で指摘された喉の痛みや免疫低下などはそのままと言う事に。院内紹介で耳鼻科にかかるかと聞かれたけど、帝京大学病院は手順が悪いし患者に不親切だからだ。今日も患者が捌き切れなくて診察時間が遅くなってしまったとか言い訳されたし、いい加減病院変えたい。
処方箋は画像の通り。
次回の診察は何故だか3週間後になってしまったわい。