@SchizghoeBillyをフォロー ツイート ブログ 失業とiPhoneと悔恨の日々: 2009

2009年12月31日木曜日

大晦日に大仕事

鬱状態の時細かい作業を続けたくなる人は多い。昔テレビで、被っているキャップに一面無数のボタンを縫い付けているおじいさんが出ていた。その人はうつ病持ちて、精神状態が沈んだ時にキャップにボタンを縫い付けているうちにボタンだらけになって町の名物になり取材されていたのだった。

私も以前から精神的に行き詰まった時に、無性に編み物がしたくなる時期がやって来る。マフラーだの帽子だの手袋・携帯ケースなど単純な小物を徹夜で編み続けるのだが、飽きるまでは作り続けるので出来の善し悪しに関わらず作品が溜まっていく。そこで他人に押し付けるのだが、一番押し付けたのは親戚である。

何年か前にも編み物制作意欲が高まり、当時はマイナーだったアルパカの毛糸で2mのマフラーや帽子制作に没頭し自分で使ったり親戚に押し付けたりしていたのだが、
突然今は亡き祖母が入院直前に「手袋を作って欲しい」とリクエストをして来た。
どうせなら役に立つものがもらいたいとのことだった。

当時の技はリブ編み(ゴム編みともいう)やケーブル編みだけで、直線で出来るマフラーやぐるぐる編んでてきとーなところで編み目を減らせば出来る帽子しか作ったことが無かったのだが、手袋は自分も欲しいと思っていたところなのでこの依頼を受けたのだった。
とはいっても5本指は難しいし時間的にも厳しかったので親指だけが独立したミトン型を作ることにした。

祖母への手袋は不格好ながら間に合った。もう何年も前の話である。

その後、今度は祖母と暮らしていた叔母が犬の散歩時に今使っている手袋の上からもう1枚重ねたいからと、素材は丈夫で扱いやすいアクリルで手袋を編んでほしいとリクエストをくれたので、いくつか試作品をつけて作って渡したのだった。

そのとき作った手袋を、手直しして欲しいと昨日12月30日に渡され、今編み直しの真っ最中である。今年中に出来ればそうしてもらいたいとの意向だった。
いつも世話になっている叔母である。やらない訳にはいかん。

もうすぐ午前6時だが、いまこんな状態である。




追記

今編み直し終わった…もう午後2時過ぎだ…正月が迎えられるぜ………

2009年12月29日火曜日

33日振りに風呂場に入った…

11月26日に入ったきり(服は洗濯してたけど)ご無沙汰していた風呂(っつーかシャワー)からあがって超ご機嫌なBilly。うつ病も快方に向かっているのかも知れん


さっき風呂から上がったら空が白んでいた。2時過ぎに入ったから、風呂場で4時間垢落としをしていたことになるのか…キッタねえがすっきりだ。

2009年12月23日水曜日

2009年12月22日冬至の悲劇

冬至にはいつも近所の銭湯でゆず湯を催す。
今年はやることなすこと裏目に出た。
こっから愚痴が始まる

先ず6月の解雇通告、脳神経外科からの心療内科への紹介状をもらいながら整形外科に引っ張り回されて、うつ病の治療が遅れたこと(半分は自己責任だとは思うが半分は違うぞK病院!!!)
失業保険は6ヶ月しか給付されないのだ!7月から下らん検査と無理目の求職活動にかまけてるよりとっとと心療内科に行って幼児期からの(恐らく生まれつき;もっと言えば遺伝)気分変調性によるうつ病の治療に入れたんじゃねーかよ!!!心療内科の先生の言うことにゃ、本格的なうつ対策の投薬に際して、朝起きられないなら起きなくていいのでそのライフスタイルに合わせた処方箋を書いたとのことだ。
何だよー寝ててよかったんじゃんよー
そおいへば今までの失業期間中も床から離れるのが困難だったが、これって自然治癒力だったのだろうか…いやそうに違いない!!!
愚痴終わり。

それはともかく寒さを押して銭湯へ向かうBilly。
そこで目にしたものは明かりの消えた銭湯の窓。


暗くて
わかん
ねーよ。














銭湯の玄関正面入り口に立てかけられた”本日休業”の木の板の後ろにマジックによる手書きで
”本日ボイラー室修理のため臨時休業…”

たったったった〜だああああああああああ

今年最後の裏目か〜?ならまだいいが…くくく〜富士の湯〜〜〜〜〜

来年の1月2日から朝7:30から特別営業するのは例年と変わらないタイムスケジュールが貼ってあったが…不安だ…鬼も笑ってんじゃねえぞ…

2009年12月17日木曜日

2009年12月15日うつ病の治療第2回目訪院

様子見の第1回目診察の後の来院である。場所はもちろん前回と同じく帝京大学医学部附属病院心療内科。

先ず前回処方してもらった薬についての報告をする。
・1日3回食前食後に飲む薬は朝起きられないので1回分ずつ余っている
・寝る前に飲めという睡眠導入系のマイスリーは全く不眠に影響を与えなかった
旨を伝えた。
更に気分も別段変わらず、頭痛も首から右半身の痛みも相変わらず(ホントはヒドくなっていたと訴えたのだが先生は聞き流していたようだ)

その後またも問診。
「曇りの日には気分が更に落ち込むか」と訊かれたので
正直に「寧ろ晴れた日に機嫌が良くなります。しかしそれとは別に頭痛は起こりますが」
と答えた。
後は風呂に入れないとか顔は実は3年程洗っていませんとか(朝はという意味)

実は身の回りに無頓着になるのはうつ病の典型的症状なのはよく知られた事実である。
実際より深刻な症状を訴えて精神系の薬を処方してもらい回り、売りさばくというのもよく知られた手口である。まあ、どおでもいーことだがね。

一応今日の最終的な診断は、慢性的なうつ病とのことだった。
今回は祖母の死やペットロスが契機となった明らかな体調不良と解雇なので初めて病院のお世話になることになったのだが、治療代を払った甲斐のある、今までの人生を振り返っても初となる発見があった。
実は今まで大学を卒業してから、就職しても2〜6年ほど経つと朝起きられなくなり、自己都合での退職1回・体調不良に目を付けられての事業縮小に伴う解雇を2回経験しているのだが、これも慢性的なうつ病によるものだという。

自覚は余り無いが、子供の頃から変な人間だと言われ続けていたのも、生まれついての気分変調によって周囲との摩擦を呼んでいたというのだ。

よく、いい子に思われたいとか周囲から浮きたくないから違う人格を演じていると悩んでいる話を聞いたことがある。
その反対に、周囲と同じは嫌だといってワザと違う言動をとるヤツの話も聞く。

私にはそんな彼らの行動が理解出来ない、というよりそういう発想が出なかった。
彼らのハナシを聞いて、成る程そうやって他人や大人をたばかると利益を得られるということは理解出来た。
しかし自分の内面を隠すだの、自分で調べて考えた挙げ句に正論だと結論づけた意見を主張しないで生活するという選択肢は、特に子供の自分には選べなかった。
つーか、やろうとしても実行出来なかったのだ。

実際同じクラス・同学年の連中とは闘わした意見や実際のケンカ(弱かったが)も多かったが、数年後の単位で私が正しかったことが証明されている。
しかし先生や大人は黙ってそれを見ていたのである。
「教師は公務員だから“こいつは厄介者だがどうせ何年かすれば卒業していなくなる”と考えているんだろう」とその当時から思っていたが、大人に成って増々それを確信している。

とまあこんな話を心療内科の先生にしたのだが、それも病気の範疇に入るとの診断だった。

これにはたまげた。

周囲と折り合えない性格が実は病気で、治療薬が処方されるんですかッ

と真剣に聞き返してしまったが、考えてみれば

薬があるから病気と定義するんだろうなあ…

今回の処方は本格的なうつ病治療薬だそうで、21日分出された。
朝は起きないという事情を斟酌し1日2回食後に
ドグマチール錠
ミオナール錠
ホリゾン錠

何時だかでも寝る前に
メイラックス錠
トレドミン錠

が処方された。
薬の説明を読むと5種類どの薬も車の運転とアルコールはよろしくないそうだ。
多分トレドミンがうつ病に直接効く薬で、注意事項が2つあるそうだ。長期間(先生の説明では1ヶ月くらい)服用しないと効果が出ない点と、人によって胃がムカついたりする副作用があることだそうだ。
取り合えず2日間飲んでいるが、1日目(12月15日)に胃よりも頭痛と肩の痛みがここ最近の内ではMAXレベルだったが今日(12月16日)は普通に肩が痛い程度だ(具体的いうと右腕が回せないので左の鎖骨から肩〜二の腕部分が洗えない程度の痛さである)。

それにしても先生は、右腕の痛みはうつ病によるものだから敢えて整形外科にかかる必要は無いといっていた。その割に対肩凝り薬がミオナール1種類、気持ちをリラックスさせて身体の様々な症状を改善する薬がホリゾン・メイラックス2種類、前回に続いて処方されたドグマチールも筋肉の緊張をほぐす作用があると説明されたような。

最初に診断した整形外科の医者が帝京出身だからなあ…その診断を覆す訳にはいかないのかも知らん(この疑問もその内先生に向かって口に出すであろう)


2009年12月11日太田記念美術館へ行った

例によって
失業保険の雇用認定日に出かけたついでに、何とか体力気力を振り絞って
特別展示浮世絵の雪景色
(↑
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/H2112%20snow%20scenery.html←こーいうの勝手に貼っていいのか、この辺はしろーとなのでよくわからん)


を見に行くことが出来た。
どういうわけかこの私、東京は葛飾区生まれの東京育ちのクセに物心つく前から雪が好きだったらしい。本棚の書物を床にぶちまけて雪だー雪だーと1人で騒いでいた記憶は断片的に残っている。
もちろんその後その心情を理解出来ない(普通そうだろう)母親からこっぴどく叱られたようだがその辺の記憶はいい加減である。


展示品は肉筆画や摺り物など。忠臣蔵関係が2点しかなかったのは時期的に意外だったが、もっと残念だったのは今回の特別展の図録が製作されていなかったことである。


雪好きだから病身をおして来場したのにー(盆、)


そこで何だか意地になって作品のメモを取り始めたのだった…
途中手帳に備え付けてあったボールペンのインクがかすれだしたため、持ち歩いているフリクションを取り出しなおも下らんメモを綴り続けた。





























とはいへ全部ではない。2階の壁面の作品をメモし終えた後、背後のガラスケースに入った上から眺めるタイプの展示には気が付いていたが、その時にはもう飽きていた。ので手帳とフリクションはしまい、今度は浮世絵を眺めることだけに専心した。


作品は全体的に後期のものが多いせいか、色彩や紙の捺しなどの陰影が美しいものが目に付いた。


何故か犬の姿が描かれた作品が妙に目ついた。
耳の立った中型〜大型犬である。
不思議に思ったのは、どの犬も尻尾を巻いて上げていなかった点である。
当時の犬の立場を知る上で貴重な資料ではなかろうか。


帰りがけに、以前開催されていたらしい特別展のうち
月岡芳年の
『芳年—「風俗三十二相」と「月百姿」—』の図録を買って帰った。
図録一冊が堪える程腰痛が唸っていたが、まあものはついでだし…もう外出する機会もそう無いだろうし…







この日は2駅乗り過ごしつつ家路についた。

2009年12月9日水曜日

iPhoneのワンセグアプリバージョンアップ

iPhone ワンセグ テレビiPhoneのワンセグ視聴のためのアプリがバージョンアップした!
iPhoneを縦に持っての立て見が出来るようになったり、視聴しながらチャンネルが変えられるになったり(もっとも昔の手回しチャンネルみたいに隣のチャンネルに送りながら変えることしか出来ないが)
↑アイコン




現在我が家ではワンセグチューナーは試行錯誤の末、このような配置になっている。

ブラインドの向こうの窓は南向き。

新しいバージョンのアプリは評価のページを見ていただければお分かりになるようにつながりづらくなったという意見が多い。
私もそうである。

しかし今日午後4時頃水戸黄門の再放送を観てみようとアイコンをタップしたところ、設定アイコンでWi-Fi電波をテレビに変えてなかったのにテレビが映ったのである。しかも電波は"3G"のままであった。(時々一瞬Wi-Fiの扇型アイコンに変わったりもしていたが)
もっと驚いたことに、今まで受信状態を示す青いアンテナが5本立っているではないか!!!今までいくらがんばっても4本までしか立ったのを見たことがなかったのに…
(@-@)

しかも不思議なことに、チューナーの様子を見に行ったがところ電源が入っていなかったのだった…



点いているのは画像では白く見えるが赤いランプだけで、電源が入っていることを示す緑のランプがついていない


そこで設定アプリで確認したところ、テレビのWi-Fiが選択されていた。
不思議だ…

それはともかく、やっぱしワンセグには予約録画機能をつけてほすい。

2009年12月7日月曜日

うつ病デビュー 2009.12.1

近所のK病院の脳神経外科の先生から心療内科への紹介状を渡されたのが2009年7月1日。暑い盛りだったはずなのだがその頃の記憶は疲労のためか曖昧である。
しかし何故だかその日の内に整形外科に回されMRI撮影も行い頸椎の年齢不相応な老化現象の解明のため検査に次ぐ検査に振り回され、結局原因も治療方針も立たずじまい。
これからどうすんですかと担当の医者に(とはいへ水曜日だけに来ているアルバイト先生である;従っていつ辞めるかもわからん立場の先生ではある)いい加減キレ気味に尋ねたところ
「確かまだ心療内科にかかってませんでしたよねえ え?やっぱまだ診察を受けてない?そっちの方で治療法が見つかる可能性があるんじゃないんですか?きっとそうに違いない! ウチではもう見当つきませんね」

そのバイト先生によると、心療内科は眉唾医者が多いので信頼出来る病院が少ないということであった。
「どこがお勧めなんですか」尋ねると

「僕が卒業した帝京大学と現在働いている東京大学の病院には確実にありますが」
との返答だった。

で、始めは東京大学の方が家から近いので、電話でもって初診の予約の問い合わせをしたら
「現在予約が詰まっておりまして、3ヶ月先に予約が取れるかどうかと行った状況です」
との返答。

片や帝京大学はiPhoneのマップで検索したら乗り換えが2回もあってしかもJRに乗り換えなくてはならないではないか!(←23区内は大体230円で移動出来る地下鉄ユーザーの驕り)

どうせ診察を受けたら鬱病と診断されるに決まってる自覚はあったし(そもそも日本人の大半は診察を受ければうつ病と診断されるに決まっとる)、かったるいから行きたくなかったんだが、バイト先生に「心療内科に行ってないから原因(慢性頭痛とか首痛とか肩から指先までの痺れとか首から下の右半身に痛みが現われるとかの)がわからないんじゃないんですか?いやそうに違いない!心療内科に行かないせいだ!!!」とまで言われ、癇に障るが受診することにしたのだ。


しかし帝京大学医学部附属病院も予約をとるのに1・2ヶ月はかかったよ。当初はそれでも10月20日に予約をいれたのだが、
10月21日が職業訓練学校の試験の日に決まってしまい(結局落ちたんだけどよ)、予約をずらしてもらったのだった。

それが12月1日だったのである。

いやー帝京は施設が新しくてキレイだったね〜しかもまだ敷地に建設中の建物があったし。
待ち時間も思ったほどではなく、13時予約で、最終的に院外処方なので病院を退出して調剤薬局から薬をもらって一段落付いたのが16時過ぎだった気がする。
まーその分診察時間が短かったっつーのもあるのかも知れないが。

初診でいきなり薬剤3種類の処方箋をもらったのには正直驚いた。

問診でなんやかんやとこちらの体調とそれらに関連すると思われる要因や今までかかった医師のコメントを説明し、持参していた検査結果も渡すと、担当のお医者さんも猛スピードで電子カルテにひとしきり入力し終えたところで

「うつ病ですね。大丈夫薬で治ります。自殺は思いとどまって下さいね。」

で、この日2週間分処方されたのが以下の3種類である。


ドグマチール錠
ソラナックス
マイスリー錠


調剤薬局では「処方箋にある先発医薬品の他に後発品医薬品も選べますが」と尋ねられ、ご丁寧に価格対比表までもらった










慢性疾患で医薬品代を削減したい場合にはやはり後発医薬品を選ぶのが常道なのであろうが、私の場合初めて処方される薬でありかつデリケートなメンタル関連の薬剤であることだし、しかも2週間分で200円程しか差額がないので、結局先発品医薬品の方を処方してもらうことにした。
(後発医薬品・いわゆるゾロの中には先発医薬品と比べて薬効はともかく崩壊性や錠剤に成型する際の添加物や副成分によって性質が違っているのは周知の事実である)

しっかしまあ、うつ病&不眠症の原因ってっても何なんでしょうかねへ〜

  • ★祖母の死

  • ★愛犬たちの様々な原因による死(寿命とか先天性異常とか:いわゆるペットロス)

  • ★そこに会社の劣悪な環境が体調の悪化を誘引し且つ拍車をかけた

  • ★なのに体調の悪化を理由にクビにされた(くっそーバカ経営者親子め!!!)

  • ★iPhone


ははは…

★★★後は私の父親が「俺は54歳で死ぬ〜」と家族に言い続けながら大酒を喰らいタバコをのみまくってたので(ただ今2009年12月7日76歳で存命中)、父親の死への恐怖とそれからの生活への不安が潜在的に刷り込まれていたせいもあるだろう。祖父が54歳で脳卒中で突然死んだのがショックだったに違いない。違いないには違いないんだろうが、じゃあ36歳になってから結婚して子供なんか作るなよってんだッばかやろうが!!!
正直こういうめんどくさい遺伝的体質を背負った貧乏な家庭に、わしは生まれとうはなかった!!!!!!


2009年12月6日日曜日

iPhoneつーか、ソフトバンクひどくねーっっっ??????

何この新聞広告



2009年12月5日朝日新聞・読売新聞両紙にての一面広告ダッ

iPhoneのキャンペーンって最初2009年9月30日までだったろーがっ
それが来年2010年1月31日まで延長して
こんだー新規の2年契約でiPhone3GS16GBが実質タダキャンペーンだとー
ゆるせねー

つーか、9月にガラケーからiPhoneに機種変した時にも新規契約に比べた価格面の差別がむかついてたところなのに(これはどこのキャリアも一緒なんだってわかってるんだけどね〜)

他の携帯電話キャリアの製品と比べても、一括で買えちゃう値段だし!!!(46,080円)
ソフトバンクのスーパーボーナス(後の月月割り)、毎月のケータイ代の中で機器代金って項目、ガラケー時代からうっとおしくて仕方なかったのに、どうせならと32GBを選択したばっかりにまた割賦販売契約を結んで払ってるのに(←自分で選択したくせに〜)
今のガラケーの外部メモリーの上限は殆ど16GBだし
現時点で私のiPhone容量32GBなんて使ってないぜっ
(要するに今回のキャンペーンを知っていればiPhone3GS16GBを何とか新規で買っていたかもと言いたいわけよ)

とにかく不愉快だ!!!
Vodafone時代から漫然とソフトバンクへ継続して携帯使ってるってだけで、えらい損させられてる気分だ…

多分精神が病んでいるせいあるんだろうけどよ…



2009年11月30日月曜日

手術を受けることになった

命に別状はないが、手術を受けることになった。多分来年始め辺り。
その病院から見たニコライ堂(正確には聖ハリストス教会だっけか)


(2009年12月23日追記)うんにゃっ
ニコライ堂は日本正教会の総本山だった!!!
こないだ母親が「お茶の水界隈を歩く会」かなんかに参加してリーフレットをもらって来たのを読んでたまげたたまげた。
正式名称は「東京復活大聖堂(英語表記:Holy Resurrection Cathedral ところでリーフレットもそうだが英語表記がやたらと多い気がするのは気のせいか?)」

詳しいことはウィキるか、
ニコライ堂のホームページhttp://www.orthodoxjapan.jp/annai/t-tokyo.html
を調べればいいのでつらつら書かないが、正教会(何故か英語で表記されるOrthodox Church)はどうもその土地土地に布教に行った先で”(地名)正教会”と称するようだ。歴史的に見ると原始キリスト教から初期キリスト教期に入った頃、各地に根を下ろした教会は全てローマカトリックも含めて正教会だった。カトリックは正統という意味だそうである。(世界史で勉強するが、主要な教会が最終的に5つ残ったがローマとビザンチウム以外はイスラム勢力の版図に入ってしまったのである;でも今でも原始なのか初期なのかわからないが、日本人には馴染みの薄いキリスト教徒が信仰を守っているよなあ。イスラム帝国の支配の上手さにも依るのだろう)
最終的に上手いこと勢力を拡大したのが結果的にローマを拠点としたカトリック、ビザンチン帝国のビザンチウム・コンスタンチノープル・今のイスタンブールを拠点とした…あれ?ビザンツ帝国の派閥はなんて名乗ってたんだろうか?それこそ正教会と名乗れば事足りたのかも知れないなあ。

ハリストスとはキリストのギリシャ語読みだとリーフレットには書いてあった。

証明写真500円!!!


今証明写真の相場って700円くらいじゃないですか?
失業者には何気に重過ぎの負担…

しかし神田神保町に500円の証明写真ボックスを発見してしまったっ










神田すずらん通りの春日通り沿いの入り口付近にあった。
お近くの方、利用したって下さい
利用者が増えれば500円証明写真がスタンダードになるかもしれない!
デフレスパイラルがなんだ!
デフレを解消しないと従業員の給料が下がるのが問題だとかゆってる政治家評論家経済団体の偉い人!!先に給料を下げたから消費を抑えてるんだろーがっ
反対に今デフレでな買った場合、ただでさえ病んでる社会がもっと取り返しのつかない方向へ向かって行っちゃうぞ!!!
2012年地球滅亡だの、マジで信じるアホが国民の大半を占めるようになるぞ!!!
1Q84の再来になるぞ(読んでないけど)!!!!!

新宿へ短期バイトの登録会に行って来た

大学願書の開封・確認作業をするという業務内容のアルバイトだそうである。後でわかったことだが、各大学から業務を募集請け負った人材派遣会社による募集であったようだ。”大量100名募集!!”の文句につられつい応募してしまった。
朝日新聞の折り込み求人に2週にわたって載っていたのだが、最初の週に電話で応募した時には応募多数ということで締め切られてしまった。
それなのに何故か次の週にも折り込み広告が入って来ていたので”さては応募多数ではあったけども辞退者も大量に出たか、応募者のレベルが低過ぎたので再募集となったんか?!”と考え、応募することにしたのである。


しかし新宿に行くのって記憶を辿ってみると10年振りくらいになるのではないだろうか…と感慨に耽っていたところ、登録会当日は当然のように迷ってしまった。当然遅刻である。
町並みはかなり変わっており、昔は西新宿のレコード屋に通いまくっていたのに、隔世の感である(大袈裟)。ちっと悔かったぜ。


とはいへ何とか登録会場には入れてもらえることになった。会議室にほぼいっぱいの人たちが座っていた。


今回指定された持ち物は


履歴書・職務経歴書・登録カード用の写真1枚


だったのだが、着くなりいきなり適性検査112問を受けさせられ、派遣会社側が用意した登録カードに職務経歴書とほぼ同じ内容を書かされ、持参した写真も各人が自分で机の上に用意してあるスティックのりで貼るという作業をさせられた後、順番に面接をするということでしばらく待たされることとなった。


面接では
「今回は去年より応募者が多くて全員採用ということはないということはご了承ください」と言われたので
「では今年は何人に1人が採用に成る見通しなんでしょうか」と質問すると
「10人中7人くらいが採用に成ると思います」との返答が。


そんなやりとりの最中に担当者が耳打ちにやって来て、何やらテストがどうとか言いだした。


またテストである。今度はランダムに並んだ8文字の漢字・カタカナ・アルファベットなどが2つ並んでいるのが同じ文字列か判断して5分間で◯×で回答するという校正系のテストであった。20〜30問くらいあっただろうか。一問答えを書き間違えて時間をロスしたせいか4問くらい回答が間に合わなかった。もろもろ考慮するに、今回のバイト、多分落ちたな…ははは………


↓ 面接を受けた建物の昼飯風景
















←こんな建物が出来ていたのかっ
 細かくクリスマスっぽく装っている

2009年11月21日土曜日

四谷ゼミナールに行ってみた

エントランスにあったクリスマスツリー

2009年11月19日、雇用保険給付期間3分の1消化を前にして失業ビリーは予備校に見学に行った。

失業保険をもらいながら職業訓練学校に通うには給付期間が3分の1残っていなければならないが、正確に言うと3分の1を残した時点で入学日を迎えていなければならないのだ。その前に申し込みや試験・面接などを済ませなければならないので、11月26日がその期限である私は、今の時点ですでに職業訓練学校には通えないことが確定してしまっている。

そこで祖父の代から営んでいる家業を継ぐことも選択肢に入れることにした。ただそのためには、大学在学6年が条件の国家資格を取る必要があるのである。そこで一応新聞広告によく出ているこの予備校に見学にいってみることにしたのである。

本降りの雨の中で掛けて行った割には、なかなか興味深い話が聞けた。

当初父親が卒業した大学の募集要項を取り寄せたところ、一般入試の他に後継者優遇入試や社会人入試・学士編入試験などの特別枠があり自分はどれに当たるのか迷って大学に問い合わせてみたのだが数回電話をかけてみてもラチがあかなかった。入試の種類に寄って必要な書類も違ってくるので当惑しているうちに特別枠入試の出願期間が過ぎてしまった。

そんな話を面談で説明したのだが(四谷ゼミナールでは説明面談をカウンセリングと呼んでいた)、それにもいろいろ理由があるらしいことがわかってきた。
まず、特別入試枠自体がかなり人数が少ないということだ。
例えば学士編入で採る学生は募集要項では”若干名”と書いてあるだけだったが、実際には1人かそこらへんらしい。
大学の偏差値自体は東京大学よりは大分下だが、全国的にこの学部を設けている大学自体が少ないので倍率が上がり、従って超難関になっているらしい。
ちなみに東京大学に学士編入などの制度はなく、センター試験から始まって一般入試で1年生から始めなければならないそうだ。
「今回の一般入試は受験しようかどうか悩んでいるんですが…7月から失業してその時から受験勉強を考えていればもしかしたら受かるかもとも思ったんですが(大風呂敷)、近所の病院で早期老化症を疑われて検査に引っ張り回されて何もしていなかったもんですから」と質問すると

「受からないにしても受験はしておいた方がメリットがあると思いますよ。
来年特別枠で受験するにしても、前の年の一般入試を受けていたといないとでは大学側の印象が違ってくる可能性もありますから。
後継者を理由に受験をするのは大学側としてもメリットがあるんですよ。まず身元が確かだし、国家資格を取ったら確実に業界団体のメンバーになる確証がありますから。
人脈を頼って受験することは、大学側としても安心感があるんです。金銭授受は論外ですが…
黙って受験すると却って”一言も挨拶無しで受験してくるとはけしからん”という印象を持たれる可能性もあります」

との解答が…

とすると問題は私の父親の大学に対する人脈が期待出来ないという点に尽きるだろうなあ。

2009年11月17日火曜日

5本指靴下を買った

靴下は常に5本指と決めている。
色々利点はあるが、一番の理由は子供の頃から右足先に痛みがあり指同士をくっつけていると熱を帯びた痛みがひどくなるからである。

私はどうも頭〜首全体と、肩から下の右半身に痛む箇所が多い。
視力も左右で違うし(右0.4・左1.2)
左の犬歯は乳歯のままだし(永久歯は頭蓋骨の鼻の横に正面に飛び出るカタチで埋まっている)
生まれた時は股関節亜脱臼だったし、
体の左右のバランスが元々狂っているのかと思われる。

そんな訳で靴下は5本指と決めているのだが、5本指靴下を選んで生きるのは困難が多い道のりだ。
まず種類が少ない。点数が少ない。デザインが限られている。
その他左右が決まっているためどちらかが痛んでも一足履けなくなって無駄になる。
私は右足のサイズ26~27cmに合わせて靴を選ぶため、左足側に遊びが出来、結果靴下の左側の方が擦れまくり易くなるのである。

あとは選ぶ靴がスケシューやワークブーツなどが多いため、靴下にもある程度の丈が必要になるため(足首が靴擦れになるから)去年までは神保町のウィンタースポーツショップを巡り巡ってデサントなどウィンタースポーツ用の膝まで靴下の中から更に5本指ソックスを探しまくっていたのである。

ちなみにウィンタースポーツ用の靴下の方が穴が開くのが早い。3~5本買ってローテーションで毎日履いていても一冬保たなかったぜ。
デイリー用に作られていないといえばそれまでだが、一足高いので3000円近くしたので結構悔しかった…

今回買ったのはショップ靴下屋で知られているタビオの商品である。


失業引きこもり中なのでオンラインストアで購入。
ネットでは光吸収発熱の抗菌防臭練りこみ繊維のサーモキャッチWという糸を使用してと書いてあったが、届いた商品タグには何も書いてないのがちと不安。しかもネットで見たデザインと微妙に違う…
しかしタグに06845と品番が書いてあり、タビオのページで確認すると間違いなく注文した商品であるようだ。
これは要確認事項だ。

一足税込み1260円。擦り減ることと送料無料になることを考慮して5足まとめて購入した。
ちなみに私が注文した時点での送料はこうなっていた
配送先1件につき、
商品ご購入金額 ¥5,250(税込)未満・・・¥420(税込)
商品ご購入金額 ¥5,250(税込)以上・・・¥0

注文日が2009/11/15(日) 04:19:32で
商品到着が11月17日の夕方頃だった。
”全商品が揃ったら発送”を選択したので時間がかかるかと思ったのに意外に早く届いて好印象だ(偉そう)
意外と言えば、全商品のタグに『日本製』と書いてあった。昨今めずらしい。これまた好印象だ。

とりあえずこれら5足でこの冬が乗り切れることを願っている。

2009年11月13日金曜日

2009年11月12日浅草寺に行って浅草鷲神社に行ってサントリホールで35000円のコンサートを観て来たハナシ

ハローワークの雇用認定日と失業前に買っていたサントリホールでのコンサート開催日と2009年の酉の市の一の酉の日が重なってしまった11月12日。
毎年熊手を買い替えているお酉さまも行かない訳にはいかないが、コンサートにも行かない訳にはいかない訳があるのだ。

失業前に買ったコンサートのチケット代は35000円。
マリス・ヤンソンス指揮、オケはバイエルン放送交響楽団!
そして目玉はヨーヨー・マが日本人が大好きなドヴォルザークのチェロ協奏曲を弾くのダダダ!!!ッッッッッ
発売日、50分電話をかけ続けゲットしたS席…
あの判断は正しかったのか失業前から考え続けている。


このコンサートに関してはうぞーむぞーが偉そうな御託やら評論を巻き散らすだろうから(特にローエングリンを演奏しなかったことに関して)感想は差し控えておくが、
あえて書くとすると第一楽章の登場時に弓の毛が切れてフワフワ揺れていたのが気になったことだ。

さてハローワークの帰り。コンサート前に浅草の酉の市に行く計画を立てていたのだが、判断力が低下しているせいか何故か北千住から東武線で浅草駅に向かってしまったのだ。
ご存知の方はご存知だが浅草鷲神社は浅草と名は付いていても最寄り駅は日比谷線の入谷駅か三ノ輪駅なのである。浅草寺からはべらぼうに離れてはいないが、不動産屋時間なら12分とでも答える距離なのである。体力も知力も衰えた昨今ではキツい。
でもまーしょーがないかー浅草から国際通り通って歩いてくかー(判断力ガタガタ)

その実際には23分ほどの行程をiPhoneによる動画に収めてみた(思いつき)。
ついでにブログへの動画うp初体験を思いつき、帰宅してから夜っぴで試行を繰り返し夜は開けたのであった…

以下、疲労と焦燥感と諦観による心理の推移。
「ホントにぐぐるぶろにiPhoneで撮影した動画がうp出来きんのか?システム的によぉ〜昨日から失敗しまくってんじゃねぇかよ…挙げ句にぐぐるぶろ動画は100MBまでだとポップアップに叱られるし…でも撮った動画を試行錯誤の末に4分割してその一つの動画の大きさを更に何とかアガキまくってして確認したら(私はそれすらも手数がかかるアナロガーなのだ)1.2MBとかしかなかったぞ?
MacBookに入ってたiMovieを初めて開いて編集(主に分割)してみたんだが、あれは正しかったのだろうか?
くそーもう午前7時過ぎてんじゃじゃねーかよ!!!結局成功しなかったぜ…いーかげんさみーってんだよっもー寝ちまうわッッッ(不眠症だから)
ぐぐるぶろちょームカツクぜっYouTubeには直接iPhoneからうp出来るっつーのによっっっ」


とりあえず熊手の画像をうpします(バチ当たりな言い方だ…)


私は毎年社殿の売店で買っているのでこういうシンプルなデザインなのですよ
今年は御初穂料1000円だった
昔は700円だったはずだがいつ値上げしたんだろう…
そおいや鷲神社は毎年入り口近くには唐の芋だか頭芋(芋頭だったかも)っつって丸くてでかい里芋のような縁起物を売っていたはずなのに気付かなかったなあ
ほんとは関東地方の酉の市の本家は足立区の花畑(はなはた)にある大鷲(おおとり)神社なんだぜ
新宿の花園神社には毎年見世物小屋が建つが年々知名度が上がってきているようで結構なこった
11月24日の二の酉には行けたらいいなあ









2009年11月7日土曜日

洋書のブックカバーって困る

洋書の中でもペーパーバックの話なんだけど、ペーパーバックって造りがちゃっちいからカバーを掛けたいんだけど、意外に規格がルーズというか、大きさがいい加減なもので既製品のブックカバーとかブックジャケットが中々フィットしない。
タイトルが把握出来ないと蔵書の地層が増々堆積して行くので透明タイプを探しているのだが、これがね〜
”洋書サイズ”を謳った商品もあるのだが、いかんせん本の方が言うことを聞かなくて困る。



★カバーのサイズがちょっと惜しかった例














                                                                              





























★カバーがデカ過ぎた例

2009年10月21日水曜日

職業訓練校の選考試験を受けて来た&au新機種情報

今日は職業訓練学校(正確には独立行政法人雇用・能力開発機構東京センターが主催する専修学校等委託訓練)のセキュリティエンジニア養成科コースの選考試験及び面接を恵比寿まで行って受けて来た…
ハローワークの窓口から事前に参考にと東京都でやっている訓練学校の選考試験問題を渡され、窓口のおっさんも「義務教育卒業程度の数学と国語の学力が必要とされているみたいですよ〜多分これに準じた問題が出ると思いますよ〜」って言うので
三省堂で「中学数学の基本のところが24時間でマスター出来る本」/西口正(明日香出版社)
を買って病身を押して試験に備え今日を迎えたところが実際に出された問題は

厚生労働省の適性検査11項目から4項目

適性検査…就活の時流行ってた気がする…
確かに問題自体は義務教育並みかそれ以下だが、スピードに付いて行けんっもう頭が現役じゃないのかもなあ…

公文には昔通っていたが、教室の先生を泣かして追い出されたし。
けど先生も悪いと思うんだよなあ…
私は中学のときの成績は国語・英語の偏差値75は当たり前だったが、数学では29を取ったことがある。点取り問題の計算問題を解くのに試験時間をすべて費やし獲得した成績だったんだけど…。

公文の先生は私の数学の実力しか知らないからつい「あなたは知能が足りない子だと思ってたわ」と口を滑らしてしまったんですなあ…
あのころは血気盛んだったのでどう口論が進んで行ったのか、先生は半泣き、私は凱旋門をくぐる心持ちで帰路に付いた。
そして、もう教室に来るなと連絡が届いたのは何日後だったことやらやら。

それはともかくこのコースに受からないと、雇用保険給付を受けながらの職業訓練の最後のチャンスなんだけど、ぜってーヤバい。
すげー人数が受けに来てたし。講座の定員は21名なんだけど、試験会場に貼られていたスケジュール表を読んだら、1日当たり試験&面接3回でそれを2〜3日続ける予定になっていた。

ちなみに東京都立中央・城北職業能力開発センター(飯田橋)が開設している4月入校の講座は給付日数が10日足りない!!!!!
30(〜35)歳までなら1年コースが受けられる。学力試験は高校卒業程度。受験料1,700円・教材費115,200円
6ヶ月コースは年齢制限はない。
6年前に受けた時には希望したコースには落ちたけど第2志望のコースが定員に満たなかったとかでそこに潜り込めたのだった…
昨今の情勢ではまずそのようなラッキーは望めないが、職業訓練講座には色々な境遇の人間が集まって来ていて、まあ面白かった。


帰りに池袋のヨドバシだったかに寄ったら、auの2009年冬モデルが陳列してあった。店の人に聞いたけど発売時期も価格も情報が入って来ていないとのことだったが、
CASIO
SHARP
による撮影画素数12メガ以上の高機能機が投入されるようだ。
iPhone持ってるけど、新規じゃなかったから毎月の支払いの割高感が否めず、ホワイトプランだから相手もソフトバンクケータイじゃないと通話料がそのまま請求金額に跳ね返ってくるのがムカついてしょうがない。母親は現在tu-kaからの横滑りでauを使っているので、auで気に入った機種があればiPhoneとの2台持ちしようと狙っていたところだったのだ。

au新製品発表まではドコモのSH-06Aを狙っており、アキバで本体価格新規で29800円(当社指定オプション加入による・恐らくデビュー割期限2009年10月31日まで)ってのを購入する予定でいたんですがね〜。

今日は北千住にも寄ったところ、パワーポケットでもauデモ棚が出ており
”10月30日新機種発売”
とPOPが貼ってあった。

2009年9月9日、駅に近い方のパワポケで何を聞いても偉い人に電話で問い合わせて人の不安を煽る女性店員に接客されてiPhoneを買った。
「iPhone本体に留守電機能は付いてるんですが?留守番センターに問い合わせるんじゃなくて、本当に本体に録音機能が付いてるんですか?」と何遍も念を押して確認したが(通話料が発生するのがいやなので)、彼女は「大丈夫です」と答えるのみだった…。
帰りがけにその店員、「わたしこの店に来て3日目なので慣れなくてすいません」と自分をフォローしていたが、わたしがiPhoneを嫌いな理由の一つがこの本体留守電録音機能が付いていないところだ。ばかやろう。

2009年10月10日土曜日

2009年9月9日にiPhoneを始めて後悔したの前説〜失業したよ病院巡りだよ編〜

2009月6月をもってソフトバンクのスーパーボーナス割賦販売制度(当時)による2年間の支払いが終わり、それと同時にハードワークに伴う体調不良を理由に6年間続けた神田猿楽町でのフルタイムのアルバイトをクビになった。
実は会社からは契約を更新するのかしないのか、契約期限7月15日の半月前になっても沙汰が無くかった。恐らく解雇になるだろうとは予感していたが、6月の最後の週ごろから、こちらから我々アルバイトグループの担当者に契約について尋ねていたのである。

私が働いていたI社は創業30年ほどの創業社長が健在の中小企業で、情報処理の請負を主にやっていたようである。私がクビになる何年か前に息子がいきなり専務待遇で入社し、記念メダル販売だのネット通販に手を染め出した。勤務中にカートレースに出場していたとかいないとか噂を聞いたが真偽のほどは風の中〜〜〜
最初に面接と筆記試験に通り雇用契約書を見たとき、目を疑った。会社側の意向は
”1年づつの契約で、最低3年は働いてもらいたい”
と言っていたのに、雇用保険に入っていなかったのである。後で聞いた話だが、私の前からアルバイトをやっていた人たちは疑問に思わず(なのか?)何年もその条件で働かされていたそうだ。
ヤバい!!!と思ったが「どうしても入りたいなら手続きしますが…」と言われ「ぜひそうして下さい」と念を押し、契約書にサインした。

あれから6年余り…仕事の量が増えたりして私の後にも2人アルバイトを増強した時代もあったが…
企業向けマーケティングリサーチのためのデータベース作成を請け負う業務だったので景気の影響をモロに受け、発注先の企業もこの事業をリストラしたらしく業務に詳しかった担当者が移動したり〜事業本部自体が東京から移転したり〜(バイトにハッキリとした情報は回って来ない)一方こちら側の担当者も殆ど業務を知らない人間に代わってしまったのだった。
発注する方も受注する方も内容をよく理解しないままなもんだから、業務の方針を知らされないまま仕事をさせられる我々アルバイトはそいつらの無茶振りにかなり消耗していたのだった…

そんななかで体調を崩して行ったこの私。
明らかに変質且つ減少して行く仕事内容と業務の内容がわかってない上からの数字のみのプレッシャーによる不安に加え、身内の死(92歳)や飼っている犬たちの病死(13歳?)やら若くしての原因不明の衰弱死(1年半くらい)をきっかけに頭痛〜肩凝り〜右腕から指先の痺れ・冷え性でもないのに異常に寒さを感じる(特にはらわた辺りの冷感)などの身体症状が現れ始め、家族病の甲状腺異常発症に怯え(バセドー病・橋本病などの異常一般)ネイチャーメイドのビタミンBコンプレックスを1日15錠以上、バファリンは1日20錠、それでも動悸と手足の裏の発汗が治まらず睡眠改善剤まで服用するようになっていたのだった…。

ああ、そういえばそうだったんだなあ。6月までの自分って…自分ではあまり記憶が無いのですよ。
前置きが長くなったが、6月最後の週辺りの契約更新の有無について担当者に訪ねようとしていた自分は、契約延長なしだった場合その会社の5階の非常階段から飛び降りる予定を立てていたのだった…やっぱしシラフでは怖いので睡眠改善剤を40錠ほど机の引き出しに忍ばせて準備をしていたのだった。
2009年6月26日金曜日、この日担当者の返答いかんによって水道橋近くの雑居ビル5階から投身自殺があるはずだったのだが…

この日身内に不幸があったとかで担当者が出社して来なかったのだった。

そして月曜日6月29日、午後に会議室に呼び出され7月15日いっぱいでの解雇を言い渡されたのだった。
その時には13日ほど残っていた有給の消化が頭の大部分を占めていた。6月30日の火曜日まで勤務すると告げ(仕事のサイクルが一週間単位で火曜日が締め日だったからである)、11日間の有給ゲットにニヤリとし、7月1日からの病院巡りとハローワーク通いが始まったのだった。

2009年10月10日現在、結論から言うと体調は最悪を脱してはいるが、原因はわからず。
叔母曰く「病院で全部直してくれるなんて思っちゃだめよっ」
この叔母は戦後まだ知られていなかった偏頭痛に長年苦しみ、甲状腺異常に悩まされ、神経痛やら腫瘍やらを病み、手術はメスが入っていないのは頭ぐらいなもんだろうってほどの病持ちである。若い頃から方々の病院を網羅し民間療法を試しつつも仕事にも家事にも手を抜かずあまつさえ他人の世話まで買って出るというモノスゴイ人物でである。体質は兄である私の父親に似ているようだが、立ち向かい方が違う。5時に家をでて慶応大学付属病院で1日何科も回り、11時には家に帰ってくる(!!!)
現在は漢方と鍼で落ち着かせているそうで、私にも鍼を勧めてくれたのだった。

私の場合、医者が言うには数値からいうと病気とまでは言えないレベルだそうである。
7月1日に近所のK病院の脳神経外科にかかったがMRIに異常はなく、診察で上記のような経緯で疲れまして飛び降りる予定を立てていたんですがと言ったら(自分にはこの頃の記憶はあまり無い)心療内科への紹介状を書いてくれた。しかし心療内科はバッタもんが多いので慎重に病院を選び、結局帝京大学医学部付属病院に連絡を入れたら、診察の予約は10月20日だそうである(その間に自殺してたらどうすんだよぅ)。
ところでK病院では脳神経外科にかかった後どうした経緯かその日のうちに整形外科にもかかっており首のMRIを撮っていた(しつこいようだが記憶が薄い)。
その結果、首の骨の老化が見つかった。老化というのは持って回った言い方だと思うが、骨の変形の仕方が老化状であり、それが年齢に不相応だということらしい。
顕著なヘルニアがある訳でもなく骨棘も見られるが明らかに神経に障っているとも言えないということで、整形外科でも大学病院の脳神経内科への紹介状を書かれ(前記の脳神経外科でもそうだったが、今は特にどの病院に行けとも指示されないらしい)結局父親が通っている東京医科歯科大学病院に行くことにした。
父親は常日頃から腰が痛いと訴えており(その割にそれまで深い治療も節制もして来なかったが)、近所のT病院で脊柱管狭窄症と診断され手術の日程も決まっていたのだが当日血圧が上がり過ぎ、危険は冒せないので取り止めになっていたのだった。
その頃母親がテレビだか雑誌だかで”東京医科歯科大学医学部附属病院にいい先生がいるらしい”との情報を得て受診したら、脊柱管狭窄症でもあるけれども、馬尾神経に脂肪腫が出来る希有な症例だとわかったのだそうだ。(ネットで調べてみたけど家畜の新生児の症例ばっかしだった…)
幸い脂肪腫は良性だったが、馬尾神経はその名の通り馬の尻尾の毛のように脊髄から各神経が分かれているところなので手術で切除するのは危険だと医者が断ったそうだ。癌ではないのでペインクリニックも本腰を入れてくれないらしく、第一痛みは数値で計れないから先生の成績にも反映しにくいから(←推測)ということで経過観察という名の放置プレイ…
かくて父は元々の酒浸り+睡眠改善剤やら睡眠導入剤やらを個人の判断で服用し、失禁など奇行に走っている。
「1日のうち数時間でも痛みがとれるってのがどんだけ楽か他人にはわかんねえんだよ!!!」
とはシラフである時の彼の主張であるが、故中川昭一氏のニュースを胸に刻んでもらいたい。実際睡眠時無呼吸はほぼ毎日のことで、家族には大変なストレスである。気になって眠れない。実際飲み過ぎて外で寝ていたのが帰って来たとき眼が異常に真っ赤で目医者に行ったら角膜に傷がついていたとか、冬の夜飲んで帰って来て床の上でそのままイビキと無呼吸を繰り返すもんだから、傍らでストーブを付けイビキが止まるとビビって寝てられなくて見に行ってみるとか私の記憶にあるだけでもかなりな酒浸り人生である。
(あ、私の不眠症の発端はこんなところにあったのか!!!っていうか、不眠が当たり前過ぎてどの病院でも言ってなかった!!!!!)
彼は戦前生まれで36歳で結婚したのでそれまでの飲み仲間のおっさんどもとの気ままな生活が所帯を持っても抜けず、ウチは貧乏であった。私の記憶にある住まいは亀有に近いボロい貸し家で、ネズミもノミもダニもいた。恐らくシラミも居たんじゃなかろうか。(そんな環境に育ったのに私も家族も花粉症になっている!!!過度な清潔=花粉症の原因説は嘘に違いない)
そしてまた彼は彼の父親(私の祖父)が53歳で脳卒中で死んだせいで、常日頃から自分も53歳で死ぬと周囲の人間全員にくどくどと言い続けていた。54歳になるまで…
今では「俺もあと何年保つかなあ〜」を枕詞に、周囲にストレスをまき散らし続けている。
飲み仲間(敢えて飲み友達ではない)も自堕落さと年齢的な理由で泉下に去り、孤独な老人となった今ではいたしかたないとも言えなくもないが、私が生まれる前からのその愚痴がボディーブローとなって、周囲の人間に対し生活する距離が近いほど悪影響を与えているに違いない。
私の祖父は、面識は無いが結構勝手な人生を送っていたようである。
聞いた話では酒を喰らうのはもちろんのこと、根岸短歌会に参加してみたり、町内でかなり早く電話を引いてみたり、ハーレーだのシトロエンに乗ってみたり、その一方で結構人に騙されやすかったらしく詐欺でかなりな大金を盗られたりしたらしい。
その子供たち4人のうち酒浸りでないのは長女、つまり前述の私の叔母だけであり、彼女が家長なのである。その証拠に兄弟のうち3家族は父親の職業を継いだが、戦後浅草から移転して再開した父親の職業の施設の住所に住んでいるのは(鉄道路線の工事の都合で何メートルかは移動しているが)叔母夫婦なのである。
ついでだから祖母の思い出も辿ってみよう。

病多き体質と人の話を聞かずくどくどと自分の言い分をお経のように並べ立てるのは私の父親にそっくりである。(祖母は92で他界した。我が父親も推して知るべしだと思うが…)
明治45年多分麻布生まれ。彼女の祖父は会津出身で階級は知らないが侍だそうである。渡辺綱の子孫だと伝えられていたそうだ。祖母は戊辰戦争で亡くなったとか(ちょっとあやふや)祖父自身も鉄砲で片目を失ったそうだ。会津の殿様松平容保公が江戸へ下るのに付いて一緒に下り、その時何人いたのかわからないが子供をつれていた。少なくとも娘が一人いて、その人が私の祖母の母親となった。彼女と結婚したのは元高遠藩の藩士だったそうだが早くに亡くなり、出戻ったのか何かして、父親と一緒に麻布の長屋で暮らしていたそうだ。その長屋には元薩摩藩士も住んでいたそうである。元会津藩士の祖父とは眼を合わせてもお互いに頷き合うだけで何かを語ることも無く静かに暮らしていたそうである。3人姉弟のうち祖母は遠い親戚の柳橋の芸者おまさ姉さんのお付き奉公として可愛がられたそうである。弟は昇といい、おまさ姉さんの旦那市川何とかって歌舞伎役者に弟子入りし小昇と名乗っていた時期もあったそうだが徴兵され、帰って来てすぐ結核で亡くなったそうな。
若い頃、祖母が弟さんと歩いていた時に他の人から女中さん扱いされたのがもの凄く誇らしかったとゆっていた…男前だったそうである。
ちなみに祖父の方の先祖は和田義盛と伝えられている。

私の首の話に戻るが、東京医科歯科大学病院の脳神経内科での診察は初診だったため、施設が開く7時前に受付に行き順番を待つことになった。
受付が開始するのは8:30からだが初診の人はその前に保険証とあれば紹介状を備え付けのケースにいれポストのような箱に入れて順番を確保するのだ。私が窓口に付いたのは6:53くらいだったが、9番目だった。
医師が紹介状を読み、小さい三角のトンカチみたいなので何カ所か関節を小突いた後一旦血液検査室に行って血液検査と尿検査を行い、その日のうちに結果が出てるのでもう一度診察室に呼ばれるまで待って、診察室に入ると先生が紹介状の返事をもの凄い速さでWordで入力しながら異常ありませんでした〜とちゃらっと診断をもらい、会計を済ませ外に出た時は12時ちょっと前くらいだった。
その後K病院に東京医科歯科大学病院の先生が書いた返事を持って行った後、今度は”早老症”の疑いがあるかもといってまたこんどは内分泌内科へ紹介状書いてよこした。早期老化症には、幼年期からから猛スピードで老化が始まる有名なプロジェリア症候群の他に、成人期から発症するものもあるそうである。
再び東京医科歯科大学病院に行ったのだが、診察券を持っている人は(どの科でも共通)直接その科の受付に行くのだが…
内分泌内科、尋常じゃない混みようだった。この日は10時に受付して、診察が1時。「今日は本当にお待たせしました」とAガールっぽい先生が力を入れて挨拶してきたから本当に混んでいたんだろう。
といって診察でやることは紹介状を読んで、血液検査を指示しておしまいだが。
待ち時間の間、気持ち悪くなって帰ろうと何度思ったことか…具合が悪いから病院に行くんだろーがっ
内分泌内科の血液検査の結果は結構かかるそうで、3週間後に予約をとらされ、会計が(これもまた時間がかかった)、一番気温の暑い時間帯に外へ放り出されたのだった。

まだクビになる前、土曜日に隣の順天堂の総合診療科にも行ったことがある。
東京医科歯科大学病院は携帯電話の使用に付いてあまりうるさくない。しかし順天堂大学医学部附属順天堂医院は結構うるさかった。というよりうるさいやつがいた。
ただでさえ混む総合診療科、土曜日、とんでもない待ち時間である。ケータイをオフラインにしてワンセグ録画し溜めた(会社に通っている時は気持ち的に観る余裕がなかった)きらきらアフロを観ていたら、私服のおばさんが「あなた病院内は携帯は禁止ですよ」「でもこれ電波切ってありますから」といっても理解出来なかったのか、しつこかった。
待合室の奥ではちょんまげつけた力士がソファーに寝転んでケータイいじってたのにっ
そいつを何とかしてから文句言いに来いってんだっ

ところで実際のところ病院でのオフラインのケータイはOKではないのか?真実が知りたい。
”iPhoneなら文句言われなさそうだよな…iPodTouchとちょっと見分けつかないし…”

両手で持つ長方形の物体…ゲーム類は全くやらず、両手で持って機械を操作する習慣が無い私が、”iPhone?”と考えるようになったきっかけであった。